【南風原】テレビ番組「ウルトラマン」の放送開始からことし50年を迎える。26日は、シリーズ初期の脚本を手掛けた南風原町出身の金城哲夫さん(1938~76年)が亡くなってから40年の節目にも当たる。劇団民芸が金城さんの生涯を描いた演劇を上演するなど、作品や金城さんの魅力は色あせていない。
金城さんは東京の大学を卒業後に円谷プロダクションに入り、特撮ヒーロー番組「ウルトラマン」の脚本を書いた。父のあだ名をもじった「キングジョー」、うちなーぐちを用いた「チブル(頭)星人」「ジラース(次郎主)」といった怪獣を登場させるなど、作品の随所に郷土愛を感じさせた。
「帰ってきたウルトラマン」第11話の「毒ガス怪獣出現」は、米軍の毒ガス移送で揺れていた復帰直前の沖縄を重ね合わせた作品とされる。「ウルトラセブン」第42話「ノンマルトの使者」は人間と海底に追いやられた知的生命体との戦いを描くが、本土と沖縄、薩摩と琉球の関係に置き換えて見る人もいる。
南風原町の実家の離れには、金城さんの書斎が当時のまま残されている。全国から多くの人が訪れ、手を合わせる人や涙ぐんで思いを語る人もいる。
金城さんは69年に円谷プロを辞め沖縄に戻り、ラジオキャスターやテレビの司会などを務めた。沖縄海洋博覧会(75~76年)の企画にも関わり、本土と沖縄の橋渡し役として奔走したが、主催者側と地元関係者との利害調整などの板挟みで苦しんだ。
9歳下の弟和夫さん(68)は「繊細な心の持ち主で、仕事に対するさまざまな批判に大きく傷付いてもいたはず」と推し量る。「ウチナー芝居も書いていたが、琉球の誇りを込めた作品をもっと残したかったはず。(故郷に戻り幅広く仕事をしていたが)書くことに徹していれば、もっと長生きしたかもしれない」と兄への思いを静かに語った。