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玉城知事の国連訪問 自己決定権言及せず、議論深め戦略的提起を 阿部藹<託されたバトン 再考・沖縄の自己決定権>8


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 今月18日から21日にかけて、玉城デニー知事がスイス・ジュネーブでの国連人権理事会に参加した。本連載のテーマは沖縄の人々の自己決定権であるので、今回はその観点から知事の国連訪問について議論する。

 しかしまずその前に、国連での知事の行動に関して散見される的外れとも言える批判に対する指摘をしたい。一部メディアなどを中心に、国の方針に反するような発言を国連人権理事会で行う資格が自治体の知事にあるのか、といったような言説があったが、これは国連人権システムのそもそもの存在意義を踏まえていない。

国連人権理事会で演説する玉城デニー知事=18日、スイス・ジュネーブ

 国連における人権システムは、第二次世界大戦時にナチスドイツのような全体主義国家が法律に基づいて組織的に大量虐殺を行ったという衝撃的な事態の反省から、個々の国家に人権の保障を任せるのではなく、国際的な協力と監視を通じて保障するべく発展してきた。そのために国際人権諸条約は各国政府に対し、その管轄内の人々の人権を侵害せず、それらを守り、実現する「義務」を課している。逆に言えば、政府が人々の人権を脅かす可能性もあることが当初から想定されており、だからこそ市民社会が人権侵害を訴えるさまざまな方法が確保されているのだ。

 仮に安全保障政策が“政府の専管事項”であったとしても、その政府が進める安全保障政策による人権侵害があれば、それを国連人権システムを通じて訴えることは、主要な国連人権諸条約に批准している日本に住む私たち一人一人が持つ権利なのである。

 例えば、米軍基地に由来すると考えられる有害な化学物質によって安全な水への権利が脅かされているにもかかわらず、その権利を確保する国際人権法上の義務を本来負っている政府が積極的に行動していない状況において、県民の代表である知事が国連人権システムを通じて人権の保護を訴えるのは当然のことなのだ。

 その上で、ここからは「触れられなかった自己決定権」について論じていきたい。前回、筆者は「玉城知事が自己決定権に触れるのか、触れるのであればどんな形で言及をするのか、触れないのであればどのような権利について国連の場で発信するのか、という点にも注目したい」と記したが、知事は訪問中に実現した唯一の口頭声明の中で「自己決定権」には言及せず、代わりに「平和への権利」の実現を求めた。沖縄島だけではなく離島地域でも急速に進む軍事化を鑑みれば平和への権利が脅かされているとしてその実現を求めることは共感を得やすいだろう。

 一方で、20日の琉球新報によれば自己決定権に言及しなかったことについて記者団から問われた玉城知事は「まだ十分県民の中で議論がされていない。これからの課題」と答えたという。2015年に当時の翁長雄志知事が「沖縄の人々の自己決定権が蔑ろにされている」と述べてから8年間も経過したのに、そのことをめぐる議論はなぜ十分に深まっていなかったのだろうか?

 前回の翁長氏による口頭声明に対して「よくぞ言ってくれた」と喝采を送った県民が多くいた一方で、元知事や自民党の県議会議員らが“自己決定権は先住民族に固有の権利である”として「沖縄県民は先住民族であるという間違った印象を広めた」と厳しく攻撃した。自己決定権の議論はいつの間にか「先住民族か否か」という議論にすり替えられ、翁長氏は窮地に立たされたが、知事の国連訪問を牽引(けんいん)した専門家などが理論的サポートを提供することはなかった。その結果、翁長氏がその後「沖縄の人々の自己決定権」に触れることはなかった。

 筆者はそのことに忸怩(じくじ)たる思いを抱き続け、2017年から国際人権法に基づいて沖縄の自己決定権についての研究に取り組みその後論考を発表してきたが、このような研究はいまだに十分とは言えないのが現状だ。

 本来、自己決定権は自らの社会の社会的、文化的、政治的、経済的発展のあり方を自分たちが決めるという権利である。「先住民族ではない」として自己決定権に否定的な発言をする自民党沖縄県連の議員たちもかつての道州制の議論では九州に組み込まれない形での沖縄の自律的発展を主張しており、沖縄の発展を沖縄の人々が主体的に作っていきたいという思いは通底しているのではないか。

 自己決定権は集団の権利であり複雑な権利である。しかし、沖縄の人々が、より望ましい形で沖縄の社会的、文化的、政治的、経済的発展を実現していくためには、先住民族に該当するのかという議論も含め、あらゆる可能性を視野に入れて議論を続けていくことが欠かせない。

 国連人権理事会の口頭声明で人権侵害について発言するのは重みのある行動であり、長期的・戦略的視野に立ってどのような人権問題について提起するのかを考えた上で、粘り強く働きかけることが求められる。

 今回玉城知事が言及した「平和への権利」は2016年の国連総会決議で人権として認められたもののその後大きな進展はなく、この権利に関する特別報告者もいまだに設定されていない。口頭声明において言及したのであれば、今後この権利が侵害されているという実相を明らかにした上で権利実現のために継続的な取り組みを行うなどの責任が生じるが、具体的にどの国連機関に情報を提供していくのかなどの見通しは不透明だと言わざるを得ない。

 自己決定権も平和への権利も、また今回特別報告者などに面談して訴えた安全な水への権利や発展への権利などについても、“結局その後議論が深まらなかった”とならないよう、ひとつひとつ議論を深め、国際人権法に基づいた文書を作成し情報提供を行うなど継続的な活動をしていくことが求められる。

(琉球大学客員研究員)
(第4金曜掲載)

 ◇知事の国連訪問を踏まえた内容にするため掲載日を変更しました。