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沖縄と先住民族 自ら訴えることが鍵 国際人権法に多くの権利 阿部藹<託されたバトン 再考・沖縄の自己決定権>9


沖縄と先住民族 自ら訴えることが鍵 国際人権法に多くの権利 阿部藹<託されたバトン 再考・沖縄の自己決定権>9 県議会9月定例会で答弁する玉城デニー知事=3日、県議会議場(小川昌宏撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 本連載は8・9月と玉城デニー沖縄県知事の国連訪問に関連した論考を綴(つづ)ってきたが、今回から本来のテーマである「沖縄の自己決定権」についての議論を再開していきたい。

 これまでで、自己決定権の発展の歴史と沖縄の法的な地位を検証した上で、少なくとも「返還」前の沖縄は「非自治地域」に類似する地域として独立を含む意味での自己決定権を有していたこと、そして1972年の「返還」ではその権利が正当に行使されたとは考えられないため、現在も潜在的にその権利を有していると考えることも可能だ、という持論を述べた。これは、現在の沖縄の人々が、「内的な自己決定権」、つまり日本という国の枠組みの中であっても、高度な自治を行う権利を主張するための非常に強い根拠になると考えている。

 現在の国際人権法において内的自己決定権の享有主体と考えられるのは、「Indigenous Peoples(先住民族)」と「Peoples(人民)」であり、沖縄の人々はそのどちらとしてでも権利を主張することが可能であるというのが筆者の考えだが、まずは、国際法上、自己決定権の法主体としての地位がより確立している「先住民族」について議論をしたい。

 知事の国連訪問に前後して「沖縄」と「先住民族」をめぐる動きがあった。一つ目は、9月22日、旧京都帝国大の研究者が今帰仁村の「百按司(むむじゃな)墓」から研究目的で持ち去った遺骨の返還を求めた控訴審の大阪高等裁判所の判決である。原告の控訴は棄却され、求めていた国際人権法に基づく遺骨返還請求権は認められなかったものの、判決文冒頭の概要の中で「沖縄地方の先住民族である琉球民族」と述べられていた。先住民族の権利に詳しい小坂田裕子中央大大学院教授は自身のX(旧ツイッター)への投稿で「この判決が琉球民族を先住民族として認定したと本当に言えるのか」については検証が必要だとしつつも、「裁判官自体は琉球民族の先住民族性を前提としていた」と一定の評価を与えた。

 そしてもう一つが玉城知事の帰国後に始まった県議会での会派「沖縄・自民党」の議員たちによる一般質問の内容である。今回の国連訪問では自己決定権に言及しなかったため演説内容に関して先住民族としての主張をしたというような追及はなかったものの、支援を行なった団体が先住民族の権利擁護に取り組む団体であることを問題視する発言が相次いだ。日本が沖縄で同化政策を進めた時代に植え付けた「後進性」といったイメージを想起させるためか、「先住民族」という言葉に対する抵抗感を強く持つ人が多いこともあらためて浮き彫りになった。

 確かに、先住民族という言葉は沖縄において様々(さまざま)な感情を引き起こす言葉になっており、“本土”出身の私はこの言葉にネガティブな印象を植え付けた自国の歴史に向き合わなければならない。それを前提としつつ議論を続けると、国際人権法上の「先住民族」は原始的な生活様式を保持しているとか、経済や社会の発展の度合いなどから定義される人々ではないのだ。

 国際人権法上の先住民族とは、近代国家が設立する過程でもともとその土地に暮らしていたにもかかわらず、植民地政策や同化政策によって自らの土地や社会の在り方・言語や文化などが否定され、奪われてきた人々であり、国連を舞台に連帯し、主権を持つ国家を相手に自らの権利を確立した誇り高い人々である。

 世界各地の先住民族の人々の働きかけの結果、2007年に国連総会で先住民族の権利宣言が圧倒的賛成多数で採択された。権利宣言は3条で「先住民族は自己決定権を有している」と定め、第4条ではその自己決定権の行使としての自治権を有していると定めていることがよく知られているが、そのほかにも先住民族に認められる数多くの権利が記されている。

 9月4日、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向けた工事をめぐる沖縄県と国の訴訟で県の敗訴が確定し、これによって沖縄県は国に工事を承認するよう迫られた。しかし、「先住民族の権利宣言」というフィルターを通してこの事象を見れば、全く違う景色が見えてくる。“沖縄の人々が国際人権法上の先住民族である”とするならば、日本も賛成した国連先住民族の権利宣言に基づき、沖縄の人々には伝統的に所有、占有してきた土地、領域、資源に対する権利とそれらを使用し、開発し、管理する権利(26条)が認められる。つまり、豊かなサンゴの広がる大浦湾やその資源をどう管理するかは沖縄の人々の固有の権利であり、逆に日本政府にそれらの権利を承認し、保護する責任が生じるのである。

 先住民族に認められているこれらの権利を主張し、行使することができれば沖縄の人々が求める「ウチナーのことはウチナーンチュが決める」という在り方に大きく近づくことができるのではないだろうか。

 2015年に国連人権理事会のサイドイベントに登壇した先住民族の権利に関する特別報告者のビクトリア・タウリ・コープス氏は、その可能性について以下のように述べた。

 「沖縄・琉球の人々が自らの文化、今ではあまり話されなくなったという固有の言語を守り、さらに先祖代々の土地、領域、さらにその資源とともに生きていきたいと願い、自らを先住民族であると認識すれば、沖縄の人々は国連先住民族の権利宣言に定められている権利を自らの権利として訴えることができるということです。しかしそれを主張できるのは私ではありません。沖縄の方々が自らの意思で、自身を先住民族として認識することによって、先住民族の権利宣言の条項を行使し、自らの主張や権利をより強く訴えていくことができるのです」

 先住民族としての可能性について考え、選択をすることは、沖縄の人々が持つ権利なのだ。

(琉球大学客員研究員)
(第4金曜掲載)