社会

「部隊で虐待、脱走」 朝鮮出身日本兵の調書入手

米軍が沖縄本島に上陸した1945年4月1日に捕虜になった朝鮮人男性の尋問調書

 沖縄戦で米軍が沖縄本島に上陸した1945年4月1日に米軍の捕虜となった朝鮮出身日本兵の尋問調書を、31日までに琉球新報が入手した。本島での最初の捕虜とみられる。米国立公文書館に所蔵されていた。この朝鮮人は米軍の尋問に対し、所属する部隊での虐待に耐えかねて脱走したことや、部隊が米軍上陸の7日前の3月25日に首里に向かったことなどを供述している。供述内容は、戦後まとめられた日本軍の動向記録ともほぼ一致している。米軍は本島上陸初日から、捕虜の尋問から日本軍の動向を的確に把握していた様子もうかがえる。

 沖縄戦に徴兵、徴用された朝鮮人は1万人余いたとされるが、当事者の証言などはほとんどなく、詳しい実態は知られていない。沖縄戦研究家の石原昌家沖国大名誉教授は「沖縄戦に動員された朝鮮人の動向や証言が明らかになるのは極めて珍しい」と指摘している。
 尋問調書は1枚で、「捕虜の氏名『カネヤマ ヨシオ』(朝鮮人)」という記述や、第32軍司令部下の野戦高射砲第80大隊に所属していたことが記されている。調書によると、カネヤマ氏は東京帝国大学の学生だった。
 尋問調書を作成したのは4月1日に上陸した第7歩兵師団の語学チームの担当官。調書の記述によると、カネヤマ氏は捕虜になる7日前の45年3月25日に部隊を脱走した。理由は「朝鮮人であることを理由に部隊でひどい扱いを受けていたため」と記録されている。
 尋問調書の「戦術に関する情報」には、高射部隊が首里周辺で陣地を構築することなどが記されており、日本軍の中枢が首里に展開している情報を米軍がつかんだことがうかがえる。
 さらに「捕虜が聞いたうわさ」として、沖縄本島に山部隊、武部隊、球部隊など4師団が展開していることを記述している。捕虜から重要な軍事情報を聞き出し、戦略を立てようとしたとみられる。
 民間人の移動についての記述もあり、男性全てが軍作業のため徴用され、それ以外の民間人は日本軍が本島南部に移動する間、本島北部に送られたと記されている。(松堂秀樹)
英文へ→Testimony by Japanese soldier of Korean descent tells of abuse by fellow soldiers



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