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根本きこさんを初めて知ったのは、2012年の「満月まつり」(「ジュゴンの海に基地はいらない!」を合言葉に名護市東海岸で1999年から毎秋開催)に出店いただいた時だった。まつりが始まる前から、きこさんのお店は長蛇の列で、私が並ぶ間もなくあっという間に完売。翌年、真っ先にいただいたその料理は、体の細胞が喜んでいるのがわかる、心がほっとする、そんな絶品だった。煌々(こうこう)と照る満月の光と、寄せては返す波の音に包まれて。
こんな料理を作る人はどんな人なのか知りたい、との思いがかなったのか、本紙連載の「やんばるからの手紙」に出会った。私は愛読者になり、週に1度、きこさんと一緒に喜び、考え込み、レシピをまねた。
本書は、週に1度では物足りなかった彼女の料理や暮らしの智恵(ちえ)、やんばるの自然や子どもたちへの思いなどがぎゅうっと詰まった宝箱だ。森や川、子どもたちの生き生きした姿、お弁当をはじめよだれの出そうな料理…など、ふんだんな写真がそれらをより輝かせている。「生態系の情報の叡智(えいち)がたべものに宿る」と、きこさんは言う。
森の奥深く、川のほとりに自力で家を建て、川から水を引き、川で洗濯し、田んぼや畑を耕し、料理だけでなくビールまで造ってしまう。子どもたちの教育も自前で、という彼女のような暮らしは、現在の私たちには縁遠いように思えるけれど、つい何十年か前まではそれが普通の暮らしだった。自然と、私たち大人よりも自然に近い子どもたちから教えられる喜び。学校という枠にはめるだけでなく、教育にももっと多様性があっていいという彼女に、私も賛成だ。
3・11をきっかけに沖縄に移住したきこさんは、沖縄が好きでやってきた人たちとは「決定的に動機が違う」という。移住してよかったか、という問いに「はい」も「いいえ」もしっくりこない、と。彼女よりもっと個人的だが、30年近く前、押し出されるようにこの島にたどり着いた私にも、それは共通する思いだ。この島はたぶん、そんな者たちをも含みこんで歴史を作ってきたのだろう。
(浦島悦子・フリーライター)
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ねもと・きこ 1974年福島県生まれ、栃木県育ち。2011年、東村に家族で移り住む。フードコーディネーターを経て現在、主婦。本紙で「やんばるからの手紙」を連載中。