サンフランシスコ講和条約発効で沖縄が日本から分断され、2年が経過した後も沖縄住民の保護に後ろ向きな日本政府の姿勢が、当時の国会でのやりとりであらためて浮き彫りになった。米施政権下という枠組みではあったが、「東亜方面の情勢から見ると」などと当時の国際情勢などを引き合いに出すあたり、現在の米軍普天間飛行場返還・移設問題への日本政府姿勢と重なって見える。
当時の沖縄は米施政権下で、住民は日本国籍を有していなかったとはいえ、政府は明らかに「日本人」とは別格に取り扱っていた。独立したての日本と戦勝国米国との力関係の差があったにせよ、日本政府として自国民である沖縄の住民の保護や地位保全に主体的に関わろうとする姿勢は見えない。
「沖縄差別の源流ではないか」と指摘する宮田裕氏は、当時の日本政府の姿勢について「何ができたかも大事だが、どうしようとする意思があったのかが問われるべきだ」と指摘している。今の沖縄の状況を考える上で、「屈辱の日」で日本から切り離された当時の沖縄の状況から学ぶべき点は今も多い。(滝本匠)