『詩集 うたう星うたう』 人の謎に踏み入る


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『詩集 うたう星うたう』瑶いろは著 ボーダーインク・1944円

うたう星うたう―詩集

 私はかつて他紙の時評で、第1詩集『マリアマリン』を携えての、沖縄詩界への瑶いろはの登場を「ひかりの詩人」の誕生だと喜んだ。特異な能力に衝迫(しょうはく)され、下降していく己の生命の根源のひかりのエリア。そこから言葉を紡いでくること自体が新しかった。「ふれたとたん/みるみるとける/…/あたりはひかりばかり/とけたものどうしがかさなりあい/またとけて/なにがなんだかわからなくなるまで/とけあったから/ここにうまれてきた/もういちどわたしをもらって/たちすくむ」(〈ひとつ〉)生命の実体はひかりであること。それは輪廻(りんね)すること。宗教・物理学・哲学がやっとたどり着いた真理を、瑶は自身の体の深みから既に受け取っていた。その頃から瑶はタイムカプセルだった。過去や未来にワープすると話し、肉体や神経の疲弊を訴えていた。

 あれから6年。待たれていた第2詩集『うたう星うたう』。頁(ページ)をめくってすぐに「てんしはわたしのなかにいる」という詩句にぶつかった。まだそんなに市民権を得ている訳でもない人間の根源的な内密を、詩的加工も無しで、こんなにも手放しにぶっちゃけていいの?ハラハラさせてこの詩集は始まる。
 しかし、瑶は己の特異体質をコントロールできていない。気の流れが乱れると、「瞼の裏を/めくってみせたら万華鏡」(〈ノクターン〉)なのだ。方位磁石がくるくる狂う肉体の魔の闇で、「自分はなにびとなのだろうという謎を解こうとして/世界に愛を探しているのかもしれない」(〈旗〉)と考えを立たせる。そして、「人は聖水を飲む/人を祈り人へと導くのも/また運命/…/運命がサンクチュアリを指し示す」(〈運命〉)のを、時には穏やかに受け入れる。〈痛い〉という作品はすさまじい詩だ。〈未来紀行〉はSF的タッチで、たぶんワープしたであろう世界を描いている。「宇宙エレベーター」という小道具が詩的加工に一役買っている。
 エロスとタナトスに触れる、振子の人体の闇の謎に、瑶いろはは足を踏み入れてしまった。
(市原千佳子・詩人)
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 よう・いろは 1978年、那覇市生まれ。同志社大学商学部卒。2009年に出した第1詩集「マリアマリン」で第33回山之口貘賞を受賞。那覇市在住。