オバマ大統領へ 広島から訴え 梶本さん「原爆後10年も地獄」


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「基地のない元の沖縄に戻さなければならない」と語る梶本淑子さん=26日、広島市

 【広島市で宮城隆尋】オバマ米大統領訪問前日の26日、広島市の被爆者や県出身者は原爆投下について大統領の謝罪を求め、沖縄の米軍属女性遺棄事件についても「米軍は沖縄から出て行くべきだ」と声を上げた。

 広島平和文化センターの被爆体験証言者として15年間活動してきた梶本淑子さん(85)=広島市=は「オバマ大統領は謝罪が前提なら訪問できないというのであれば仕方がないが、本当は心底わびてほしい。大統領は被爆者に、安倍晋三首相はアジアをはじめ太平洋戦争の犠牲者に謝罪すべきだ」と強調した。

 梶本さんは高等女学校3年生だった1945年8月6日、爆心地から2・3キロ北の軍需工場で被爆した。周囲は熱線で服が焼かれ、全身の皮がめくれて垂れ下がった人々が水を求めてさまよっていた。梶本さんもけがを負いながら、建物の下敷きになった友人を助け出した。担架に乗せて運ぶ際、死体を踏んだ時の感覚は忘れられないという。

 残留放射線を浴びていた父は1年半後に血を吐いて亡くなり、健康そのものだった母も原爆症で入退院を繰り返した。梶本さんは教師の夢を諦め、働いて母の治療費や一家の食費を稼いだ。「原爆が落ちた日は地獄。でもその後の10年余も地獄だった。食べる物がない日は寝るしかなかった」。被爆者に対し「原爆症がうつる」「遺伝する」などとうわさが広まり、差別がひどかったという。戦争の苦しみが戦後も続く中で、弟たちと「お父ちゃんを返して」と泣いた。原爆を恨み、投下した米国を恨んだ。

 戦争で大被害を受け、戦後も不条理を背負わされたのは沖縄も同じだ。梶本さんは3年前に沖縄を初めて訪れ、南部のガマにも入った。「私たちは戦後も放射能に追い掛けられ、何十年も後にがんになっても因果関係は誰も証明してくれない。沖縄の人は艦砲弾に追い掛けられ、米軍も上陸し、怖かったろうと思う。戦後も米軍基地に苦しめられている」と語る。

 翁長雄志知事の言葉が報じられ、米軍基地の実情を知った。「米軍がめちゃくちゃなやり方で土地を奪い、基地を造ったなんて知らなかった。基地のない豊かな沖縄に戻してほしい。そうでなければ本土各地で基地を引き取り、負担を分かち合うべきだ」と強調した。