普天間県外移設「本土で反対起こる」 98年梶山官房長官が書簡


この記事を書いた人 新里 哲

 米軍普天間飛行場の返還合意時の官房長官だった故梶山静六氏が1998年、普天間飛行場の移設先が沖縄以外だと「必ず本土の反対勢力が組織的に住民投票運動を起こす」と本土側の反発を恐れ、名護市辺野古を移設先とする理由を記していたことが3日分かった。現在の安倍政権は「辺野古が唯一」として移設計画を強行する姿勢を崩していないが、普天間飛行場の県内移設が政府説明による米軍の抑止力などではなく、政治的都合によって沖縄に押し込められていった構図が改めて浮き彫りになった。

 政府と沖縄を仲介した元国土事務次官の下河辺淳(しもこうべ・あつし)氏に宛てた書簡で記した。書簡は下河辺氏所蔵の資料を保存する「下河辺淳アーカイヴス」(東京)の中から、沖縄国際大の前泊博盛教授が確認した。近く書簡は県公文書館へ寄贈、公開される。

 梶山氏は、本土での反対運動に懸念を示した上で「岸本(建男)現(名護)市長が『受け入れ』のまま市の態度を凍結するとしている名護市に基地を求め続けるよりほかは無い」と記した。

 政府はこれまで、普天間飛行場の県内移設について、沖縄の「地理的優位性」や米海兵隊の「抑止力」の必要性を挙げて説明してきた。

 だが県は、もともと米海兵隊が本土にあったことなどから、沖縄への米軍基地集中は地理的必然性によるものではなく、合理的な説明は一切なされていないと反論している。