【島人の目】恐るべしスマホ


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 羽田から沖縄行きの飛行機に乗った。いよいよ離陸かと思いきや、大韓航空機のエンジン炎上で滑走路が使えなくなり、当該便がキャンセルになったとのアナウンス。乗客は全員降ろされた。さあ、われわれオバハン3人、せめて最終便にでも乗れるといいが。

 すると航空会社から5時以降の便はネット上での予約を推進するというアナウンスが流れた。若者らはしきりにスマホを動かしている。連れの話では、側にいた沖縄旅行の一家の嫁がスマホで沖縄行きを確保し高齢の親を安心させたよう。スマホを持たない連れの2人、そしてPCをうまく駆使できない自分。さあどうすべきか。
 出発ロビーが多くの人たちでごった返す中、まずはカウンターで振り替え便と払い戻しを掛け合うため長蛇の列に並ぶことに。結局それも徒労に終わり、連れの1人が東京在のPC得意な妹に助けを求め、翌日の成田発の沖縄行きに乗れることになった。ホッとしたものの一方でフェアーでないと思う後味感が残った。
 20年前は携帯電話は普及していなかった。デパートの待ち合わせ場所には伝言板があり、公衆電話もあちらこちらにあった。別に誰も不便だとは感じずゆったりとした時間があった。今はスマホ、携帯電話がないと生きていけない世の中になったのは認めよう。
 だが、電車の中で乗客のほとんどが頭を垂れスマホに夢中になっている異様な光景や、レストランで2歳か3歳の子がタブレットで遊び、母親はお構いなしに側から食べ物をその子の口に運んでいる姿には「何だかなあ」と違和感を感じる。
 ネットへの依存で生活習慣が乱れ、コミュニケーションが身に付かない若者が多くなったと聞く。そしてスマホによる集団いじめなど。情報の入り口はトラブルの入り口とも言われている。スマホ、恐るべしである。
 もし20年前に今回のハプニングが起きたなら、もしかしたらもっと全ての人に公平で丁寧な対応があったのではと思う。
 「昔は何もなかったが何かがあった。今は何でもあるが何かが足りない」(存明寺の掲示板)。あの赤電話と伝言板が懐かしい。
(鈴木多美子、米バージニア通信員)