
【名護】ハンセン病の元患者で沖縄愛楽園(名護市)の退所者・平良仁雄さん(77)は同園を案内するボランティアガイドを務め、国の隔離政策の残酷さについて伝えている。回復後も差別と偏見を恐れ、退所者の大半が実名を明かせない中、平良さんは「ハンセン病の問題のような過ちを繰り返してはならない」と、積極的に自らの体験を交えて若い世代へ平和や人権の大切さを発信している。
平良さんは1939年、久米島で生まれ、幼い頃にハンセン病を発症した。島で暮らしている時は人目を避け「(家を訪問する)人の気配がすると、後ろ(奥の部屋)へ引っ込んだ」。48年12月、9歳で愛楽園へ入所した。「(島では)孤立した生活をしていたので、ここ(愛楽園)には同じ年頃の仲間もいてうれしかった」とも振り返る。
当時、何度か面会に来た父は予防着をまとい、面会室でガラス越しにしか話せなかった。「久しぶりに再開する親子が手も握れない。楽しい時間は、自分が隔離されている身だと実感する時でもあった」と語る。
67年に退所した後に再入所し、99年に再退所した。当初は多くの退所者と同様、元患者とは明かさないようにしていた。心境が変わったきっかけは、2007年に那覇市で開かれた「人権フォーラム」。高校生がハンセン病回復者の体験を基にした劇を熱演し涙を流していた。「人の心の温かさ、愛に触れた。(退所者であると)カミングアウトをしたきっかけだった」
戦前から戦後のある時期まで国は入所者に子どもを産ませず、結婚する男性は断種、妊娠した女性は堕胎などの手術を強制された。「この土地には強制的に閉じ込められて生きていた人たちの血と苦しみ、涙が埋まっている」。平良さんは現在、園を訪れた人をガイドする際にこう訴える。今後もガイドを続ける構えで「一生をささげて悔いはない。(人権や平和に関する)啓発活動を続け、次の世代へ伝えていきたい」と誓った。
(古堅一樹)