『島尾敏雄』 新分野俯瞰する手引書


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『島尾敏雄』比嘉加津夫著 言視舎・3780円

 ずしりと手応えのある一冊である。〈『死の棘』の夫婦にとって小説とは現実以上にリアルであった!〉という帯文の言葉につられて、内的現実と外的現実の関係という視点から、表現行為を考える姿勢に誘われた。同時に『死の棘』の原稿はみんな私が清書したのよ、とミホさんから打ち明けられたときの意外感を思い出していた。

 『死の棘』は敏雄・ミホの合作小説ともいえる。檀一雄の『火宅の人』と島尾敏雄の『死の棘』は、同じ家庭内事情を主題にした私小説の累(るい)だが明らかに方法が違う。『火宅の人』の家族は作者の観察によって対象化されているが、『死の棘』の家族は逆に作者を観察し、審問して現実へ引きずり込み、また作者ともども作品世界へ立ち返るという手の込んだ方法をとっている。そのため、読者は小説を読んでいながらいつの間にか島尾家の凄惨(せいさん)な劇を目の当たりにしているような衝撃を受ける。

 従来の私小説の概念で『死の棘』を読むと随所に誤読を免れない。私小説の概念を壊した日本文学の新たな分野として読むことを求められる。その点、著者の執念の読み込みは細かい所まで探っており、島尾文学の全体像を俯瞰(ふかん)する最良の手引書になっている。「評伝選」となっているが、内容は作品論、作家論、伝記をからめた記述からなり、序章の「作家になるということ」から終章「島尾敏雄の晩年」まで、新しい事実の発見や著者の読み込みの角度など興味をそそる。一気に読ませる労作である。

 欲をいえば奄美・沖縄の表現者たちとの関わりを視野に入れることで、島尾文学ワールドをさらに豊かに捉え得たのではないか。島尾は1986年に急逝したが、「南島」との関わりは深く、来年は生誕百年で、奄美や沖縄でも記念事業が企画されている。その点でも時宜を得た出版である。著者が島尾文学と最初に出会ったのは72年という。晶文社から『島尾敏雄作品集』4巻が出た頃である。一人の作者の作品に生涯こだわり続けるのは、どちらかといえば編集者だが、著者の島尾文学へのこだわりもこの編集者気質によるものと見る。(川満信一・詩人)

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 ひが・かつお 1944年、久志村(現名護市)出身。沖縄大学文学部中退。「脈」同人。詩画集「流され王」や「比嘉加津夫文庫」、「島尾敏雄を読む」など。

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