『横須賀、基地の街を歩きつづけて』 柔軟さ 息長い運動の鍵


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『横須賀、基地の街を歩きつづけて』新倉裕史著 七つ森書館・1944円

 神奈川県横須賀市での市民運動を記録したこの本のサブタイトルは「小さな運動はリヤカーとともに」だ。空母「ミッドウェー」の横須賀母港に反対して1972年に生まれた「ヨコスカ市民グループ」を前身に、その後「非核市民宣言運動・ヨコスカ」と名前を変え、76年から始まった月例デモは今年の夏で490回に及ぼうとする。そのデモの主役となっているのが1台のリヤカーだ。

 リヤカーにスピーカーを取り付け、楽器を奏で歌を歌いながら、自分たちの思いを書き付けたボードを手にして基地の街を歩き、そのデモからは「小さなリヤカーが立ち向かう/空母や軍艦に/戦争を許すなと」と歌われる「空母とリヤカー」という歌も生まれた。その歌を作ったのが、フォークソングが大好きな村松俊秀さんで、彼は月例デモだけでなくたった1人横須賀の街に立って、平和を願う歌を歌っていたが、病に倒れ、8年前に50歳でこの世を去ってしまった。古くからフォークソングを歌っているぼくは村松さんの誘いで横須賀へ歌いに行き、そこで「非核市民宣言運動・ヨコスカ」の人たちと出会い、彼が亡くなった後には「一台のリヤカーが立ち向かう」という歌を作って日本中で歌っている。

 この本を読むと、1人立ち上がろうとするフォークシンガーが共感を寄せ、そんな彼を温かく迎え入れた「非核市民運動・ヨコスカ」の大きさや柔軟さが浮かび上がる。戦争に直結する基地と向き合う長い闘いの中で、ただ反対と拳を振り上げるだけではなく、対立する相手との対話を諦めず、従来の保守や革新の垣根を乗り越え、自治体と手を携えることも厭(いと)わず、時には街ぐるみで、また時には個別で動き、憲法9条こそが自衛官を守っているのだと訴え、同じ基地に苦しめられている沖縄にも強い連帯の思いを抱く。その中心には我々ではなく、まずは一人一人だという発想があり、その伸びやかさと気負いのなさこそが強さとなり、希望となり、運動が長く続く力にも知恵にもなっていると気づかされる。
 (中川五郎・フォーク・シンガー)

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 にいくら・ひろし 1948年生まれ、横須賀市在住。1972年、米空母「ミッドウェー」の横須賀母港に反対する市民運動に参加。以後、平和運動を続ける。

横須賀、基地の街を歩きつづけて: 小さな運動はリヤカーとともに
新倉 裕史
七つ森書館
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