『「宗教」と「無宗教」の近代南島史』 イメージに連動する信仰


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『「宗教」と「無宗教」の近代南島史』及川高著 森話社・5184円

 本書で論じる対象は、「人々の『宗教』に関するイメージであり、『宗教』という言葉が想起させ、想像させるモノ・コトの全体」だという。宗教イメージを考察の対象にするのは、宗教と関わる人間の行為や実践(ある対象を宗教あるいは無宗教と見なす、宗教への期待や熱狂、抑圧など)は、人々の宗教イメージによって編成され、イメージの変化が行為や実践を変えるという理解に基づく。そして、近代南島史における宗教のイメージとその変化を論じることを通して、今日の日本において「宗教」とは何か、を問うのが最終的な課題だという。

 本書が考察の対象にする近代南島の出来事は、明治20~30年代のヤマトの知識人による民俗信仰の対象化、喜界島における廃仏とノロ祭祀(さいし)、大正期以降の民俗学による民俗信仰論の生成、奄美におけるカトリックの受容と弾圧、沖縄における村落祭祀の解体とノロのキリスト教への回心である。

 一見すると相互に無関係な出来事を同じ土俵にのせて議論することを可能にしているのは、著者の採用した方法論のなせる業ということになる。これに関して著者は、これらの出来事は、いずれも宗教イメージの変化が南島の民俗信仰と関わって引き起こした事態であるという視点に立つことによって、近代南島の信仰に生じた多くのことが理解可能になるはずだという。そして、著者独自の近代南島史論を踏まえて、今日の日本において宗教とは何かについての答が提起される。

 注目すべき論点は多々ある。評者にとっては、民俗信仰論の生成に関わる、伊波普猷と柳田国男における「託宣」(「ユタの歴史的研究」、「巫女考」)から「霊力」(「をなり神」「妹の力」)への力点の移行をめぐっての考察、および伊波の「ユタの歴史的研究」の読解に、特に刮目(かつもく)させられるものがあった。いずれにせよ、本書が提起する近代南島史をめぐる論点は、従来の民俗学や近代史研究には全く見られないものであるのは確かであり、それらを巡る今後の議論の展開を切に望みたい。
(赤嶺政信・琉球大学教授)

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 おいかわ・たかし 1981年生まれ。筑波大学大学院修了。東北大学・東北アジア研究センター教育研究支援者を経て、現在沖縄国際大学講師。