【島人の目】日本語ができない


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 何年前のことだろうか。琉球大学の学部生だった頃、ある自治体の海外移住者子弟受入事業で沖縄を訪れていた研修生と知り合い、仲良くなった。同じ南米出身の友達にも声を掛け、大学近辺のカラオケに誘った時の出来事だ。準備をしているときに携帯電話が鳴り、聞こえてきたのはその人の声だった。かなりのパニック状態だったのだろう。同じポルトガル語のはずなのに話していることが聞き取れない。やっと通じる状態になり、事情を聴くと迷子になっていたのだ。バスから既に降りていて、自分がどこにいるのかが見当もつかないというのだ。

 落ち着くよう促し、バス停に何が書いてあるか聞いたら怒鳴られた。「そうか、大変だったね。分からないのか。読めないのか」。根気よく話した末、バス停か近くのお店の写真を送ってもらい、場所を特定して迎えに行ったような気がする。当時はスマホもまだなく、地名を知らないととんでもないところに行ってもおかしくなかったはずだ。

 スマホは現在地情報を相手にそのまま送れるし、道案内もしてくれるからすごく便利な時代だ。写真を送信して場所を特定するやりとりは、外国人が行く先々で繰り広げられている可能性がある。

 沖縄に滞在していた7年の間、日本語ができない多くの留学生や研修生に会った。反対にものすごく日本語が堪能な人たちにも会った。レベルはどうあれ、彼らの日本語は数カ月の間に相当上達していた。一部の研修生は再び県費留学生として沖縄に舞い戻ることがあった。

 彼らのその時の変容ぶりからは、日本語を相当勉強してきたことが伝わる。ゼロに近かったのが流ちょうに会話をこなし、大学の講義を受けられるレベルまで向上しているのだ。さらに面白いケースがある。それは、冒頭で述べた、ある自治体の研修生のことだが、2度目に沖縄を訪れた際、世話になった市役所に通訳としてスカウトされたのだ。

 話が通じるか通じないかのレベルから、今では市役所の通訳だ。同じ元研修生・留学生としてこんなめでたい話はない。沖縄のどこかで、海外から沖縄へ研修・留学に行く後輩たちに自分の苦労を基に良いアドバイスをしつつ、沖縄のことを伝えているのだろう。
(城間明秀セルソ、ブラジル通信員)