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伊波翁沖縄学の土台にひそかに収められた「礎」に、沖縄人の近代的精神の形成過程の「核」を探り当てるべく、本書は、沖縄随一の秀才、伊波普猷が東京帝国大学に卒業論文を提出するまでを追う。青年伊波の出世街道に沿って進むテクストは必ずしも直線コースではなく、人間普猷をあぶり出す脇道の風景は実に魅力的だ(写真群が素晴らしい)。
首里那覇出身のエリートたちの立ち振る舞いや、親友屋比久孟昌の悲しい恋にまで筆は及ぶ。京都の旧制高校で唯一の沖縄人であった伊波が、ありったけの知性と希望を込めて放つ「皮肉」がまるで通じない場面などは、本土在住の沖縄の「でぃきやー」たちに強烈な「うちあたい」をお見舞いするだろう。
うちなーむんを卑下する当時の沖縄の学校現場を、「ヤマトとの繋(つな)がりがあるうちなーむんの重要性を知らぬか」と伊波は叱(しか)った。著者はその叱責(しっせき)の中に、うちなーむんの価値をヤマトとの繋がりにのみ還元する、伊波の「植民地根性」を見て取る。だがその解釈が真逆な読みを与える余地を残すところに、沖縄のリアルな「今」がある。うちなーむんを学校現場で流通させるという結果を目指したパフォーマンスを、伊波はあえて遂行したのではないかという理解のあり方だ。
現在沖縄の教育現場では、「学ぶ」行為を新しい切り口で捉えることが可能となった。つまり、短期間で学力テストの順位を上げられたことによって、学ぶことの価値が順位を上げることにはなく、上げることの意味を吟味することにあるのだと言えるようになった。この可能性は、全国各地の「学力」向上意識が、実は首都圏への若者流出とそれに伴う地方の過疎化に帰結するという国民的「皮肉」に対して、いよいよ沖縄の歴史から何かを学び返すという作業を用意する。
本書は、今こうして伊波普猷について考えることの意味を問う。AかBのいずれかを選べと一方的に迫られる切羽詰まった状況下で、主体が全てをかけて一歩を踏み出すその「初動」の意味。すでに与えられた条件を問うという、学問の仕事がここにある。
(前嵩西一馬・大学教員、文化人類学/沖縄研究)
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いさ・しんいち 1951年、首里市(現那覇市)生まれ。75年琉球大卒。81~82年にカリフォルニア大大学院(バークレー校)で学ぶ。琉大法科大学院係長などを務めた。沖縄近代現代史家。
琉球新報社
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