【島人の目】人種差別からの脱却


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 アメリカの近代史は、ヨーロッパからの白人移民がネイティブ・アメリカン(先住民)を征服した時から始まる。やがては白人の移民は黒人をアフリカから連行、奴隷とした。それ以来、人種差別はアジア系、ラテン系、そして今まさにイスラム人種へと広がっている。第2次世界大戦で日系人が強制収容所に入れられたことも人種差別の一つだったといえるだろう。

 米社会で成功したマイノリティー(少数派)の人生に焦点を当てると、必ず「差別」の文字が浮かび上がってくる。2016年12月に106歳で亡くなった中国生まれの芸術家、タイラス・ウォンさんの生涯を先日、ロサンゼルス・タイムスが紹介した。

 1930年代、ウォルト・ディズニーがアニメ映画「バンビ」を制作した。風景など背景を描ける人材探しは困難を極めた。まだ20代だったウォンさんの目には、その作品は不完全さに満ちていた。

 「自分ならもっと上手に表現できる」。監督に申し出たウォンさんだが、監督が彼の意見に耳を傾ける気配はなかった。アジア系に対する差別があったのだ。仕方なくウォンさんは無償でその役割を買って出た。

 彼が描く森林の火事やバンビの生き生きした絵は監督に多大な感動を与えた。世界に彼の作品の素晴らしさが伝えられた。だが、ディズニーでの活動はそれほど長くは続かなかった。41年にディズニーでストライキがあり、職場を去らざるを得なかった。

 間もなく、ウォンさんはワーナーブラザーズに採用される。ジェームズ・ディーンやナタリー・ウッドが出演した有名な映画「理由なき反抗」などのバックボードのデザインに取り組むなど、25年間映画制作の一端を担った。

 その後、映画界を去ったが、今度はクリスマス・カードの絵画制作者となった。カードは今でも販売されるほどの人気を博している。

 マイノリティーが米社会で傑出した人物になるまでには多くの困難がある。人種差別に負けず、不遇から脱却することがその最大の課題となるだろう。成功を収めたマイノリティーたちは口をそろえて言う。「アメリカで不可能なことはない。差別の中にも寛容があり、多様性への認識がある。それこそがアメリカ人が持つ偉大さだ」

 今年1月、第45代の大統領にドナルド・トランプ氏が就任した。米社会で成功を収めたマイノリティーが抱いていた米社会に対するイメージは、トランプ新大統領の下でどのような変化をもたらすのか。今、全世界が注目し、懸念している。
(当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)