北島さんの一人芝居を放送 ROK追悼番組きょう午後9時


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「赤いブクブクー」を初めて演じた時の北島角子さん=1985年11月23日、那覇市民会館(ラジオ沖縄提供)

 9日に85歳で亡くなった女優の北島角子さんが一人芝居「赤いブクブクー」を初めて上演した時の音源が25日午後9時から、ラジオ沖縄による「いつかのラジオDAYS」内の追悼番組「職分(すくぶん)~平和を語り続けた 名女優 北島角子」で放送される。1985年のうないフェスティバルの一環で制作され、当時事務局を担当していた女性史研究家の宮城晴美さん(67)が原作を書いた。「赤い―」を皮切りに、宮城さん原作の一人芝居4本が同フェスティバルで上演または放送された。北島さんの女優人生で大切な作品となった。

 うないフェスティバルは女性の社会的地位向上を目指してラジオ沖縄、那覇市、各女性団体などが開催した。各界の女性らが参加し、活動発表とネットワークづくりを行った。

 当初うないフェスティバルの事務局は「島口説」(謝名元慶福作)の上演を依頼したが、北島さんは「人の作品に頼らず自分たちで作りなさい」と注文した。宮城さんが初めて劇作に挑戦し、その後も「いのち」「日本じん?」「みんな生きているから」を書いた。北島さんが自らの戦争体験を取り入れて脚色した。

 「赤い―」は宮城さんの祖母が体験した「集団自決」(強制集団死)を基にしている。宮城さんは「北島さんが演じるから作れた。彼女の口調、苦しい時も人を笑わせるキャラクターを意識しながら書いた。『沖縄は太陽が強いから涙がすぐ乾くんだ』と話していた。悲惨な体験をストレートに書くより訴える力がある」と振り返る。追悼番組について「今は不安をあおり戦争に向かっているような状況だ。戦争が何なのかを改めて考えてほしい」と語る。

 当時の同フェス事務局で元ラジオ沖縄ディレクターの源啓美(ひろみ)さん(69)は「当時は誰もが『集団自決』を知っているわけではなく、私も衝撃を受けた。北島さんの存在の大きさを知ってもらいたい」と話している。
(伊佐尚記)