『山椒魚が飛んだ日』 日常の場に及ぼす詩歌の力


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 不思議なタイトルは、何かの比喩ではない。

 婚の日は山椒魚が二〇〇〇粁を飛んだ日 浮力に加はる揚力

 作者は、妻となる人とペットのウーパールーパー(山椒魚)を連れて飛行機に乗り、東京から石垣島へ。そこで新婚生活を始めた。

 南風の湿度に本は波打ちぬ文字は芽吹くか繁りて咲くか

 除湿器に錬金術のごとく湧くみづをハイビスカスに遣りをり

 これらの歌が雑誌に発表された時、同じく石垣島に住んでいた私は「この湿気が、光森裕樹の手にかかると、こうなるのか!」と、それこそ錬金術を見るような思いで驚嘆した。湿気で波打つ本の中の言の葉が、その水分で育つという楽しい連想に加え、一首目には、この地で歌の花を咲かせることができるかという自問が感じられる。

 除湿器の水を捨てるという面倒な作業のたびに二首目の「錬金術」という言葉が浮かび、私はウキウキした。詩歌の力は、そんな日常的な場面にも及ぼされる。

 本書の白眉は、新妻が身ごもり、出産、命名、育児へと歩み出す日々が、夫からの視線で瑞々しく、ときに生々しく描かれているところだ。特に出産の歌は、男性歌人がここまで踏み込んだ例はなかったと思う。

 ひとがひとを保たむとするまばゆさを分娩台から投げ捨て君は

 からだから樹液のやうな汗をふき愛するひとが樹になつてゆく

 ひとがひとを保たむとするまづしさを剥がされ吾も樹になつてゆく

 砕けつつ樹のうらがへる音をたてぼくらはまつたき其のひとを産む

 子を産むとき女は、人でない何かになる。その傍らにあって、まだ人であろうとする。自分を「まづし」いと感じた夫も、何かを脱ぎ捨てて出産に参加する。

 産まれるまでは「其のひと」だったが、出産ののち「吾子」「子」と変化して詠まれるのも、興味深い実感だ。(俵万智・歌人)

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 みつもり・ゆうき 1979年兵庫県宝塚市生まれ。石垣市在住。2010年に第一歌集「鈴を産むひばり」で第55回現代歌人協会賞受賞。

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