東村で3人きょうだいの末っ子として生まれた宮里藍選手のゴルフ人生は父・優さん、母・豊子さん、兄・聖志選手、優作選手に支えられ、ファミリーで歩んできた。兄たちの影響でゴルフを見よう見まねで始め、小学1年で初めてショートコースを回って以来、ゴルフに夢中となった。「藍ちゃん」の愛称で親しまれ、国内の女子ゴルフ人気を引っ張ってきた。
優さんの著書によると、藍選手を「ほめること」でやる気を起こさせた。その指導に応えるように、藍選手は小学校低学年から頭角を現し、中1で全琉アマチュア選手権のレディース部を制覇する実力を付けた。
中1のころ、最高峰の日本ジュニア選手権出場権を争う県予選で勝ち抜けず出場がかなわなかった。初めての挫折。優さんは自信を失いかけた藍選手を世界ジュニア大会に出場させるべく、大会本部に依頼し2人で米国の大会を経験した。
高校は女子ゴルフ部のある東北高校(宮城県)に進学し、2002年の釜山アジア大会で日本女子個人で大会史上初の金メダルを獲得。次々と国内のビッグタイトルを獲得し、03年に日本女子プロゴルフ界で初の高校生プロとなった。
藍選手はプロ入り後のインタビューで「一人なら絶対ここまで来られなかった。私を支えたみんなのおかげ」と感謝の気持ちを口にしている。
06年から米女子ツアーを主戦場とし、地元でプレーをする姿は見られなかったが、今年3月、南城市で開かれたダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントに6年ぶりに出場した。
兄・優作選手が三大大会の初制覇を飾った5月には会場に駆け付けて応援した。家族の支えに感謝しつつ、挑んできた藍選手の14年間の軌跡は、県民に多くの夢と希望を与えた。