「母のように 人のために」 県系3世照屋さん 日本の司法試験、独学で合格


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 難関で知られる日本の司法試験にブラジル・サンパウロ市出身で県系3世の照屋レナン・エイジさん(25)が合格した。ウチナーンチュの快挙は地元サンパウロの邦字紙「ニッケイ新聞」でも報じられた。母子家庭で出稼ぎ労働者である母の下で育った照屋さんは「裕福ではなかったので、大学受験も司法試験も塾には通わなかった。学校の授業など独学で勉強した」と語る。3月からサンパウロ市内の二宮法律事務所(所長・二宮正人弁護士)で研修している。

難関の日本の司法試験に合格した県系3世の照屋レナン・エイジさん=5月、ブラジル・サンパウロ市

 照屋さんの祖父母は1950年代、現在の沖縄市からブラジルへ渡った照屋寛政さん、幸子さん。照屋さんは8歳の時、母レジナさん(45)と日本に渡った。埼玉県の小学校に通い始めたが、周囲にブラジル人は少なかった。「日本語ができずに学校で泣いたこともあったが、日本の友達と遊ぶうちに日本語を覚えた」と振り返る。

 その後、愛知県に移り住み、レジナさんは照屋さんを育てるため自動車工場などで朝から晩まで働いていた。母親の姿を間近に見てきた。「母のように人のためになることをしたい」と強く思うようになった。テレビドラマの影響で弁護士を目指すようになった。

 2010年4月、名古屋大学に進学。学内では一般人からの相談を受けるサークルに所属し、学外でも外国人児童を支援するボランティアをしていた。それらの活動を通して、弁護士になりたいという気持ちが膨らんだ。同大法科大学院に進み、司法試験に向け勉強漬けの日々を送った。

 学費を半額は免除の特待を受け、残りはアルバイトで工面した。大学院では奨学金を借りた。16年に司法試験を受け、合格率22・95%の狭き門を突破した。「独学だったけど、面白いと感じながら勉強した」と照屋さんは語る。

 日本にはブラジル人の工場労働者が多いことから労働問題や入国管理に関する問題、離婚や相続問題などにも興味があるという。8月には司法修習のために日本へ戻る予定。修習後は、日本弁護士連合会に弁護士登録をする。(城間セルソ明秀ブラジル通信員)