【島人の目】ジャーナリストの端くれ


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 日本エッセイストクラブの会員はエッセーに興味を持ち、大学教授、俳優、女優、ノーベル賞を受賞した科学者、作家、コラムニスト、医者などいろんな分野の人々で構成されている。中でも、日本の全国紙の元記者で現在ジャーナリストとして活躍している人もとても多い。「会報」2017年春号に会員の松本仁一さんが「イラク戦争のおかげ」というタイトルで、エッセーを書いている。04年のイラク戦争で、首都バグダッドが陥落し、フセイン大統領の銅像が引き倒された直後を取材するために、現地入りしたとの内容である。

 当時、松本さんは朝日新聞編集委員で、戦乱の中、市中心部のホテルは欧米のテレビクルーで満室、やっと泊まれたのはチグリス川沿いの小さなホテルだった。午後8時には電気が止まる。傍ら銃声がまだ鳴りやまない中での取材は、心の休まる時間ではなかった。部屋の窓すれすれを、えい光弾が赤く尾をひいては飛んでいき、チグリス川に落ちて消える。最初の頃は、肝をつぶしたが、3日目には慣れてしまい、平気で眠れるようになったという。しかし、危なくて夜の取材には出られなかったようだ。1カ月ほどして帰国した。それからしばらくして松本さんは異変に気付いた。医者に調べてもらったら、初期のがんが見つかり、手術で取り除くことができた。がんの早期発見が「イラク戦争のおかげ」と書いているのである。大新聞の記者ともなると、このような命に直接関わる取材をしなければならない生活は私には想像することさえ難しい。

 通信員のことを私は自分勝手に「ジャーナリストの端くれ」と呼んで、取材のネタ探しに日々、奔走している。役割はロサンゼルス周辺の県系人や沖縄に興味のある人の活躍をリポートすることだ。最近、誇らしい出来事が起きた。ロサンゼルスの日本国総領事館が沖縄関連イベントへの取材を私に許可したのである。左ポケット上には「PRESS」と書かれた名札が光っていた。いくつになっても現役を自認する自分にとって、これは天から降って湧いたような幸運な出来事に胸がキュンとなった。
(当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)