【アメリカ】著書に祖母への思い 名護生まれのキャシーさん


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
キティー・サンキーさん(後列左)とともにコンサートに参加した名護市生まれのキャシーさん(前列左)=米カリフォルニア州ロサンゼルスのミュージックセンター

 6月2日に米カリフォルニア州ロサンゼルスのミュージックセンターで開かれたロサンゼルス交響楽団基金募集コンサートに出席したキャシー・サンキーさん(66)。北米沖縄県人会の奨学資金選出委員であり、2016年に南カリフォルニア日本商工会議所(南加日商)会頭に就任するなど日系人のために多大な貢献をしてきたキティー・サンキーさん(69)の兄嫁だ。

 キャシーさんは1950年、名護市生まれ。4歳の時にアメリカン・スクールに入学。家では英語、日本語の半々を使用していたが、18歳で沖縄の米軍基地内にある、クバサキハイスクールを卒業したころには日本語はすっかり忘れてしまったようだ。

 キャシーさんは東洋医学の医者であり、アーキパンクチュアー(はり・きゅう)の免許を持つ。本の執筆もしており、英文書「私の名はマハター」の1部、2部が出来上がっており、3部目の最終部分を執筆し始めたところだ。著書のタイトルにあるマハターは実の祖母の名前。本は1900年代の沖縄の風習やユタ、禅の心を盛り込んだファンタジックなフィクションとなっている。

 サンキーさんはもともと「山城」の姓であった。一家の歴史は当時の沖縄が置かれていた状況を鑑みると、一つの生き方が見えてくる。
(当銘貞夫通信員)