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『合同エッセイ34集 海神祭』 言祝ぐ喜び 待ち受ける

『合同エッセイ34集 海神祭』沖縄エッセイスト・クラブ編 新星出版・1500円

『合同エッセイ34集 海神祭』 言祝ぐ喜び 待ち受ける

 人はなぜエッセイなるものを書かなければならないのだろうか。無聊(ぶりょう)をしばし先延ばしするため? 積年の自説をここぞとばかりに開陳するため? 旅先で邂逅(かいこう)した路傍の抒情に心をとどめたため? 

 わたしはこの精選34篇の中から、あえて宮城恒彦「三つの長崎」と伊佐節子「金婚式」に触れてみたい。前者は離島の中学教員の頃の失敗談から始まる。新米先生は生徒に短歌作りの宿題を与えるがほとんどが音節を三十一に並べたものであった。だがある女生徒の港を扱った一首は息をのむ感動作で、感性の豊かさを彼女に伝える。しかし後年、それは斎藤茂吉の盗作であったことを著者は知るはめになる。そしてこのエッセイは茂吉、橋田壽賀子の「長崎の鐘」のエピソードを経て、あのプルトニウム原子爆弾の爆撃機の後日譚(たん)で締めくくられる。舌を巻く構成の妙である。

 後者は、私はやれやれなんと凡庸なタイトルだろうと思った。だが読み進めると『富士日記』の武田百合子を喚起させる推進力がある。百合子の夫の泰淳は日ごろ、こう話していた。「絵葉書の写真をバカにしてはいかんぞ。泥臭くて野暮臭くて平凡さ。しかし隅々まではっきりていねいにうつしてある。それだけだってたいしたもんだ」。この作品は金婚式の記念旅行で遭遇したタクシー運転手の挿話が圧巻で、まさにこれ以外の表題はありえないだろう。

 あとがきは編集委員長である新城静治氏の一文で結ばれている。「他の作品も含め、読者諸氏が、これはと思う作品を見つけることを期待したい」

 井上ひさしは、日ごろから「む、や、ふ、ゆ、ま」を文章信念としていた。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに、書くこと」。

 うりずんの時季に刊行された本書には、氏の信念に肉薄する会員の珠玉の作品が満載されている。われわれ読者には自分のモノサシに合ったそれぞれの豊穣な「海神祭(ウンジャミ)」を言祝(ことほ)ぐ喜びがそこに待ち受けている。

(又吉正直・フードライター、獣医学博士)

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 沖縄エッセイスト・クラブ 「海神祭」には34人が寄稿した。同クラブは1983年以降年に1回、合同エッセイ集を発刊している。

合同エッセイ34集 海神祭
沖縄エッセイスト・クラブ編
四六判 308頁

¥1,389(税抜き)