本著の主人公、石川文洋氏は沖縄で生まれ、本土での無類の映画好きな少年時代を経て、戦争カメラマンになる。ジャーナリズム(特に新聞や雑誌)の影響力の大きかった当時の「時代が生んだ職業」が戦争カメラマンだ。
人が目の前で殺されていき、自分も常に命の危険にさらされている状況で心を保つのは、並大抵の精神力ではできないことである。ただ、カメラがある、写真を撮る、ということが武器を手にしているのと同じような心強さをもたらしたのではないか、と想像する。
私自身、写真を撮るが、戦地に行きたいと思ったことなど一度もない。人と人が殺し合う場所、国策という名の下で多くの子どもまで犠牲になるのが戦争であり、その中に自分の身を置いて、写真で表現したいことなど何ひとつないからだ。
確かに戦地で人が殺し合う写真はセンセーショナルで、時に戦争を終わらせる力を持つのかもしれないが、そもそも戦争が起きないように写真の力を使ってゆきたい。そして何より殺し合いは恐ろしい。
沖縄でオスプレイが配備されることとなり、激化する野嵩ゲートでの反対運動の撮影に行ったことがある。市民と警察が体をぶつけ合いまさに衝突している瞬間は本当に恐ろしかった。
なぜ戦争に関わることを拒否したら、制圧されなければならないのか。むなしさと悲しみがあふれ、シャッターを押すことさえ涙ながらであった。恐らくカメラがあったから体が動き、シャッターを切り、魂が嘆きあっている瞬間を記録できたのだと思う。
石川氏の撮影した戦地での市井の人の営みの写真に心が救われる。そういった人々をなるべく撮影したということだが、そんな写真のほうが、むしろ戦争の無意味さを如実に伝えるのではないか。
数々の戦争を間近で経験した石川氏が「軍事力=抑止力というのは戦争の現場を知らない政治家たち、あるいは多くの国民の妄想だ」と話すことほど説得力のある言葉はない。
(當麻妙・写真家)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いしかわ・ぶんよう 1938年那覇市首里生まれ。毎日映画社などを経て65年~68年までベトナムに滞在した。朝日新聞社出版局写真部を経て、84年からフリーの報道カメラマンとして活躍している。
サンポスト
売り上げランキング: 470,820