『サンゴ礁の人文地理学』 多様な知や学問を横断


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
『サンゴ礁の人文地理学』渡久地健著 古今書院・4320円

 サンゴ礁の海を巡って紡がれた、とても豊かな本である。静かに、知の領域侵犯が試みられ、その成果が真っすぐに提示されている。漁師から聞き書きし、漁師に学ぶことが「私の仕事」だという著者の言葉には、偽りがない、誇張もない。ほとんどそれは、「歩く・見る・聞く」という民俗学的な実践そのものであり、親近感を覚えずにはいられない。ここには地理学と民俗学との幸福な出会いが見いだされる。

 とはいえ、本当はその先である。漁師たちの「海の知識と技」は極めて総合的だ。そう考える著者だからこそ、地形学・生物学・人類学といった多様な知や学問を横断するかたちでのアプローチを、果敢に試みるのである。

 サンゴ礁の世界に埋もれている、漁師たちだけが知る漁場や漁を背景とした小さな地名を掘り起こし、「生きられる海」の姿を浮き彫りにしていく。同時に、古い絵図や水路誌、南島歌謡や絵画などを手掛かりとして、「描かれた自然」を重ね合わせて発見していく。その腑(ふ)分けのプロセスは堅実なものであり、叙述もまた穏やかなものだ。

 しかし、実はその至るところに、独創的な眼差(まなざ)しがはめ込まれていることに注意しなければならない。例えば、田中一村の絵画の分析など、あくまで細部の考証にこだわりながら、とても優れたものではないか。少なくとも、ここには印象批評を超えて、絵画を資料として活用する新たな可能性が示唆されていた。

 思えば、すでに90年も前に、伊波普猷が沖縄学の始まりの季節に「干瀬(ひし)と干瀬を謡った文学」を発表し、柳田国男が「干瀬の人生」を書いていた。サンゴ礁の海はきっと、奄美や沖縄にとってはその歴史文化的な風土の核心をなしている。とりわけ近年になって、たくさんの興味深い研究が生まれていることは、偶然ではあるまい。

 この国はいまタガが外れて、壊れかけている。だからこそ、こうした生活誌に根ざす現実を謙虚に押さえた上で、沖縄の、日本の未来を語らねばならないのだ、と思う。
(赤坂憲雄・学習院大学教授)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 とぐち・けん 1953年本部町生まれ、琉球大学准教授。筑波大学大学院環境科学研究科修士課程終了。沖縄協会を経て現職。主な編著に「熱い自然」「熱い心の島」など。

サンゴ礁の人文地理学: 奄美・沖縄、生きられる海と描かれた自然
渡久地 健
古今書院
売り上げランキング: 482,611