『クジャ幻視行』 淵から世界を眺め返す


社会
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『クジャ幻視行』崎山多美著 花書院・1620円

 沖縄本島中北部に存在するであろう「クジャ」という名の町を舞台にした物語からこの奇譚集は始まる。かつては米軍基地の影響で賑(にぎ)わいを見せた歓楽街の片隅をのぞき見ると、あちらこちらにクジャの町の入り口を思わせる風景がある。既視感を覚える町並みに、夢なのか現(うつつ)なのか、そのどちらでもないのかと混乱しながら、読み進めるとさらに町の深みへと誘われる。

 元映画館や陽が沈みかける岬、星の揺れる夜空など、七つの短編の大方の場面には夕間暮れ(ユマングィ)や闇が纏(まと)い付く。3つ目の短編の名にもある“アコウクロウ”とは、逢魔(おうま)が時とも言い換えられる、古くからマジムン(魔物)が出没する時間帯と伝えられていて、子どもたちは魂を抜き取られる前に家路を急ぎ帰る。物語に現れるのはマジムンではなく生身の人間やかつての人間の姿なのだが、この刻の持つ魔術にすでに手を取られているのかもしれない。

 それぞれの物語の共通する情景のひとつに“淵”がある。アコウクロウは昼と夜の淵に立つ時刻であり、あの世とこの世の間に存在する人々は淵の住人と言える。そして最終話に再び登場する、オキナワに写真集を作るために撮影に訪れたカメラマンの男は、出会うことを切望していた「風景と風景が折り合わぬまま切り立つ場所」に迷い込む。 淵というところでは「世界を眺め返す」ことができるが、たやすく行き着ける所ではなさそうである。そこに存在すれば、相反する表裏のようなものたちが唯一混ざり合う場面に遭遇することが許されるのかもしれない。

 戦後に起きた在留米軍兵士の関わった事件の犠牲者がモチーフとなった少女のように、作中には、生き続けることが叶(かな)わなかった人々が幻視の町の住民として生活している。自身が語らぬことで別の何人もの登場人物が少女のことを語り始める。昼でもなく夜でもない黄昏(たそがれ)時に街角に現れる人影を見つけることができたなら、それは淵の住人か、そこを行き来する特別な旅人だと思いたい。彼らを見つけて、彼らの言葉を探し、語り部となり得たなら本望である。

(宮城未来・古書店店主)

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 さきやま・たみ 1954年、西表島生まれ。琉球大学国文科卒業。88年「水上往還」が第19回九州芸術祭文学賞最優秀作。主な著書に「ゆらてぃくゆりてぃく」、エッセイ集に「南島小景」など。

 

クジャ幻視行
クジャ幻視行

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