【島人の目】「欧米」に違和感


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 気になっていることがある。

 それはアメリカとヨーロッパを一緒にして「欧米は…」という枕詞で例を挙げる場合が日本ではとても多いことである。ある一国を挙げて言うより、確かにインパクトがあるし、話に重厚感が出る印象がある。しかし、ヨーロッパに住んでいる人間にとっては非常に違和感がある。それは日本も他のアジア諸国と一緒にして「アジアでは…」と言われるのと同じ印象だと思っていただければ分かりやすいと思う。ただ、この表現に対してあまり批判がないのは、おそらくこの「欧米」という枕詞が付く内容がほとんど日本が見習うべき良い内容で、違和感があっても、嫌な気がしないことが多いからだろう。しかし、フランスに住む者として、今回はしっかりその辺を批判したい。

 そもそも、欧米という単語が使われるとき、アメリカの例を言う場合が多い気がする。アメリカでなくとも、多くの場合は英語文化圏を指している場合が多い。「ウチ(フランス)では全然違うけどなぁ」と思うことが多々ある。

 そもそも、アメリカとヨーロッパは同じ文化圏で語るにはあまりに違いすぎる。さらにアメリカに最も近い英国はヨーロッパの中ではかなり異質な国だ。アジア圏でいうところの日本のような存在といえるのではないだろうか。大陸のヨーロッパ諸国とはかなり価値観が違う印象を受けるのだ。その英語文化圏がヨーロッパの共通した価値観のように思わせるこの「欧米」という単語を使用した論説にはどうしても首をかしげてしまう。

 言っておくが私は英国が嫌いだから言っているわけではない。むしろ一番好きな国だ。欧米という広義すぎる定義を多用する日本の論客に疑問を持っているのだ。願わくば、これからは欧米ではなく具体的な国名で例を挙げてほしい。そうすれば日本という国が、どの国の考え方に影響され、依存しているのかがよく分かるのでは、と思ったりもする。
 (大城洋子、フランス通信員)