約45年、ボクシングの指導に人生をささげた金城眞吉さんが名伯楽らしく、家族や親族、教え子たち十数人に囲まれて、静かにこの世を去った。
「監督は、明日までは厳しいかもしれないです」。15日夜、興南と沖縄尚学の両高校OBらでつくる「眞和会」会長で興南高校の後輩に当たる羽地克博さん(53)が先輩の具志堅用高さん(62)に連絡した。仕事のため来県していた具志堅さんは16日中に金城さんを見舞う予定だった。電話から数時間後、具志堅さんは那覇市内の病院を訪れた。
病室に駆け付け「監督、監督」と具志堅さんが呼び掛けると、金城さんはわずかにのどを鳴らしたという。それから数分後、「監督、ありがとう。みんな来ているよ」と涙ぐむ教え子らの声の中、金城さんは息を引き取った。
金城さんは2016年1、2月ごろ肺がんが見つかった。「ステージ4」「余命1年」という厳しい診断が関係者に告げられた。金城さんは西原町内の病院で通院しながら抗がん剤治療を続けた。
「具志堅先輩の到着を待っていたかのようだった」と、金城さんの最期の様子を見守った羽地さんは話す。「奥さんの清子さんときっと天国でまた仲良くお話しているでしょう」(羽地さん)。金城さんの教え、功績を教え子や関係者は忘れない。