『沖縄からアメリカ 自由を求めて!画家 正子・R・サマーズの生涯』 はざまに生きた果敢な足跡


社会
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『沖縄からアメリカ 自由を求めて!画家 正子・R・サマーズの生涯』正子・R・サマーズ著 原義和編、宮城晴美監修・解説 高文研・1728円

 去年の10月に正子・R・サマーズ氏の作品展があり、水彩画を主とした諸作品や彼女の写真の中の眼光、紹介された人生に強烈な印象を与えられたが、本著での彼女の言葉たちもまた、戦前戦後を生き切り、沖縄と米国間を往来した果敢な足跡として稀有(けう)な光を放つ。

 4歳で遊郭(辻)に売られ、性を売ることへの激しい嫌悪の中、ヤマトの軍人との恋愛と別れを経験、首里城地下壕軍部へ他の遊女たちと同行。米軍収容所から基地PXなどでの勤務、そこまで遊郭での借金返済請求を追ってくる元の抱え主。性を売ることへの峻拒(しゅんきょ)の一念から、軍の食堂の余剰ベーコンの油を売り貯めたお金で自由の身になり、愛した米兵と結婚、さらにその夫と渡米するまでが第一部である。

 二部では米国が中心的に語られる。英語との格闘、義母や友人たちとの人間関係、流産。養子を迎え市民権を取りながら子宮摘出を経ての沖縄への里帰りで実家の両親の家を新築した。さらに二人目の養子を迎えながらも、移民局勤務の夫が罪に問われ、他の女性との関係も発覚し経済的に逼塞する中、まさにそんなさなかでの水彩画への開眼。自分の描いた絵に「鳥肌」が立ったという叙述に鳥肌が立つ。

 夫の不倫そして離婚という彼女の生におけるトラブルを、本人が「奇跡」と言う、絵という表現実践が柔らかくそして強靭(きょうじん)に包んでいく。長い間彼女の心底にあった、他人が自分の過去の生業(なりわい)を知っているのではという屈折や劣等感までもが、絵を磨き他者に教えていくことで「生まれ変わった」という矜持の獲得によって癒されていく。

 本著末尾のインタビューで、彼女は木を描くのが好きだと言っている。多くの水彩画で、例えば砂漠や月光をテーマにしていても、彼女の絵の多くの中では、樹木がすっくと、あるいは点描や描線なしの色置きなどではかなげに、描かれている。

 樹木が時間をかけて成長していくその姿に共振し見ながら、自身の生=表現の奇跡を果たし得た人を再度心に刻む喜びを、本著は与えてくれる。(宮城公子・沖縄大学教員)

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 まさこ・ろびんず・さまーず 1928年1月23日、大阪で生まれる。4歳ごろに那覇市にあった辻遊郭に売られる。沖縄戦に巻き込まれ、45年7月に摩文仁で保護される。50年10月、米軍人のノーマン・サマーズ氏と結婚し52年に渡米。73年にアリゾナ州ユマで画家となる。2016年9月に死去。