「母が生き返った」 対馬丸戦没者の遺影、カラー化 証言調査の徳島大復元 


この記事を書いた人 Avatar photo 与那嶺 明彦
カラー化した島袋末さんの写真。金城園子さんの証言を基に帯は藍色にした

 「こんにちは」。思わず声を掛けていた。沖縄県沖縄市の金城園子さん(85)は、カラー写真でよみがえった対馬丸事件の犠牲者である母親、島袋末(すえ)さんの若かりし日の姿と“対面”した。2日、徳島大学の佐原理(おさむ)准教授(映像デザイン)と学生が対馬丸記念館でモノクロ写真をカラー化するとともに、園子さんから戦争体験の聞き取りをした。金城さんは「母が生き返ったみたい」と感慨深げに写真を見詰めた。

 疎開する学童や一般人らを乗せた「対馬丸」は1944年8月、米潜水艦の魚雷攻撃で撃沈された。園子さんは当時49歳だった母をはじめ、姉、弟、妹の4人を亡くした。父も戦前に他界し、姉の小嶺安枝さんと2人、孤児となった。戦前の家族の写真は、7年前に他界した姉から預かった母、末さんの写真たった1枚だけ。この夏、対馬丸記念館に複写した写真を提供した。

 写真提供を報じた琉球新報のネット記事を佐原准教授が読み、写真のカラー化を名乗り出た。佐原准教授と学生らは、戦前や戦時中のモノクロ写真のカラー化を通して、戦争体験の聞き取りや記録する活動をしている。これまで徳島県や京都府で実施してきたが、沖縄での活動は今回が初めてとなった。

金城園子さん(前列左)と、金城さんの母・島袋末さんの写真をカラー化した徳島大学の佐原理准教授(同右)と学生たち=2日、沖縄県那覇市の対馬丸記念館

 学生が園子さんから聞き取った当時の様子や事前に調べた内容を基に、佐原准教授が画像処理で写真に色を付けた。藍色の着物を着た末さんの姿がパソコン画面に映し出されると、園子さんは驚いて一瞬、声を失った。

 写真に写る母は20代ごろで撮影場所や経緯は不明。園子さんが一緒に過ごした頃の末さんとは「ちょっと違う」としながらも「生きているみたいねぇ」とうれしそうに写真を見詰めた。園子さんの娘、仲本江利子さん(51)は「母とおばあちゃんの手がそっくり。カラーになって身近になった」と目を細めた。

 園子さんは名護市内の山中で戦時中を過ごした。戦時中の体験などを学生から聞かれ、「親がいないことは本当にみじめ。一緒に対馬丸に乗ればよかったと何度も思った」と振り返った。「戦争で何もかもを失った。戦争だけはしないで」と学生に思いを託した。

 佐原准教授と学生は3日も対馬丸事件の遺族から預かった写真のカラー化と修復をした。同大3年の瀬野知美さん(21)=愛媛県出身=は「実際に体験した人の話で、現実味を帯びて聞くことができた」と話した。佐原准教授は「カラーにすることで目の前で起こっていることのように考えることができる。カラー化や修復作業など、できることがあれば協力したい」と話した。(田吹遥子)