米軍機部品の落下があった沖縄県宜野湾市の保育園や小学校には「やらせだろ」などといった誹謗(ひぼう)中傷が相次いでいる。一方で「心を痛めている」「負けないで」という応援や激励の言葉も寄せられるようになった。しかし、今もネット上では米軍普天間飛行場を巡る勘違いや差別的発言がはびこっている。
■「やらせ」
「やらせだろ」。普天間第二小学校に米軍ヘリの窓が落下した13日、同校に電話が入った。米軍が窓落下を発表した後も中傷する電話が続いた。市教育委員会によると、誹謗中傷の電話はほとんど県外からだ。
18日、東京都民を名乗る男性から「沖縄は基地で生活しているから、ヘリから落下物があって、子どもたちに何かあってもいいじゃないか」などと述べる電話があった。19日にも、別の男性から「学校を後から造ったくせに文句を言うな。戦闘機と共に生きる道を選んだくせに文句を言うな」という中傷の電話があった。
■「危険への接近」
中傷はいずれも根拠のないものだ。普天間飛行場が建設された土地には戦前、約1万4千人が住んでいた。沖縄戦で上陸した米軍は住民が収容所にいる間に土地を占拠し普天間飛行場が造られた。
後から人が移り住んだとする「危険への接近」論は各地の騒音訴訟で国が主張してきたが、司法が否定してきた。国も今年12月、第2次普天間爆音訴訟の控訴審でこの主張を撤回した。
普天間第二小は1969年4月に開校した。この年11月に山口県の岩国基地を拠点としていた米海兵隊部隊が移駐し、訓練が激化する。81年には北谷町のハンビー飛行場返還で代替施設となり、基地機能が一層強化された。
80年代に学校移転が議論された。しかし、用地取得のための財源の補助を国に求めたが断られた。市は移転先としてキャンプ瑞慶覧の一部返還を求めたが、米軍は小学校跡地の提供を条件にした。結局、市やPTAは移転要求を断念し、同じ場所で老朽化した校舎の建て替えることになった。
■不適格な飛行場
米国の安全基準では滑走路の両端に危険を避けるために土地を利用しない「クリアゾーン」を設けるように定められている。普天間飛行場ではこの区域に住宅や学校が存在していることから、宜野湾市は2006年、普天間飛行場の安全不適格宣言をした。
米国の文書などを分析する真喜志好一さんは「そもそも存在してはいけない飛行場だ。閉鎖するしかない。飛行経路を検討してどう飛ぶかという話に誘導されているのもおかしい」と指摘する。
これらの経緯に対する理解が広がらないまま普天間第二小への中傷が続いた。教職員は物理的、精神的にも負担を抱えている。
(明真南斗)