元那覇地裁裁判官で琉球大学法科大学院教授を務めた稲葉耶季(いなば・やすえ)さんが14日午後4時54分、病気のため那覇市の自宅で死去した。75歳。東京都出身。18日に近親者だけで葬儀・お別れ会を行った。
東京都職員を経て裁判官に。1995年、那覇地裁の民事部裁判長として海上自衛隊の対潜水艦作戦センターの情報公開を巡り、国と那覇市の全面対決となった訴訟で那覇市全面勝訴判決を下した(最高裁で確定)。96年には不法占拠状態となった読谷村の楚辺通信所(通称・象のオリ)への立ち入り問題の審尋を担当。和解成立で地主の知花昌一さんの立ち入りが実現した。
那覇地裁から横浜地裁に異動後に退官し、99年から琉球大学教授。2006年に簡易裁判所上席判事となり12年退官。この間、インド、ネパールに「ヒマラヤ稲葉学校」を設立する運動を展開した。弁護士となった後は臨済宗僧侶となり「断食瞑想(めいそう)会」を主宰。「食べない、死なない、争わない」(15年)を出版するなど、断食瞑想の普及に努めた。人権活動家、ジャーナリストの故松井やより氏は実姉。