【アメリカ】沖縄物産店 感動を発信 林さん夫妻 二人三脚で夢実現


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 米サンフランシスコの日本町「ジャパンタウン」には、日系のスーパーやショッピングモール、日本料理店などが軒を並べ、地元民をはじめ海外からの観光客が訪れるサンフランシスコの人気スポットとなっている。その日本町の中心にあるジャパンセンター東側モールの一角に、沖縄の物産を扱う店がある。「AKABANAA」だ。神奈川県出身の林ハリー晴彦さんと那覇市出身のルリさん夫妻が経営する。

「AKABANAA」を経営する神奈川県出身の林ハリー晴彦さん(写真右)と那覇市出身のルリさん夫妻

 店のショーウインドーからは琉舞のビデオが流れ、店の正面にはシーサー職人、金城敏徳さん制作のシーサーが置かれ、見守っている。店内には紅型、シーサー、漆器、琉球ガラスなどの民芸品をはじめ、かりゆしウエア、琉球人形、沖縄音楽のCD、ウコン茶や黒砂糖などの県産食材が整然と並べられている。英語での説明書きがあるものの、国際通りや、まちぐゎーにある土産屋に迷い込んだ錯覚を起こすほどだ。

 晴彦さんは異国情緒が残る横浜市近郊で育った。幼少の頃から家には外国人が出入りし、異文化に接する機会があった。そんな晴彦さんだが、日本復帰の前年の1971年、初めて訪れた沖縄に衝撃を受けた。今まで感じたことのない独特な空気を感じた。紅型を初めて見た時は、「こんなに美しいものがこの世にあるのか」とその色彩感覚に感動した。「小さい島ながら引きつけられるものがいろいろあることを知り、ショックを受けた」と振り返った。

 今では沖縄の物産店を経営する晴彦さんだが、本職は「ポルシェ」専門の修理業だ。カーレーサーに憧れていた林さんは中学卒業後、いすゞ自動車工業会社の専修学校に進学。3年間自動車製造技術の基本をたたき込まれ、卒業後は製造現場で経験を積んだ。レーサーとしても活躍したという。ルリさんと結婚後、修理とレーサーの二足のわらじを履きたいと、ルリさんの姉のいるサンフランシスコに渡った。

 整備工場が軌道に乗ると、晴彦さんは沖縄で受けた「感動」を米国人にも伝えたいとの思いを行動に移した。夢だった沖縄物産店の出店に向けて奔走したのだ。だが、米国食品局からの許可が下りなかったり、商品の買い付けなど慣れない交渉で壁にぶち当たったりした。

シーサーや琉球漆器、琉球ガラスなどの民芸品やかりゆしウエアなど沖縄物産を取り扱う「AKABANAA」=米カリフォルニア州サンフランシスコ市の「ジャパンタウン」

 困難な作業を乗り越え10年前に出店を果たした。現在はルリさんが店番をし、晴彦さんが年に2、3回、沖縄に仕入れに行く。今ではルリさんより“沖縄通”に。晴彦さんは「文化意識の高いヨーロッパ系の観光客が紅型染めを初めて見た瞬間、美しさに見入っている姿に接するのがうれしい」と語る。

 沖縄県人会副会長を務め、県の民間大使にも任命された。沖縄の民謡歌手によるコンサートも手掛け、沖縄の文化も発信している。

(鈴木多美子通信員)