【島人の目】故郷本部新里に思い馳せ


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 那覇市立古波蔵中学校の教諭、又吉弦貴さん(54)から古い写真と説明書が添えられたメールが届いたのは2か月ほど前のこと。又吉さんによると、写真は約45年前に撮られたもので、優しくほほ笑む幼い又吉さんの肩に手を掛けているのは母親の加代子さん(旧姓嘉数)という。加代子さんは私より2歳年上で、私の故郷、本部町新里の生まれだ。手紙で私に「覚えがないか」とあったが、残念だが私にはその記憶がなかった。

 「新里」といえば一つの思い出がある。かの地の上部には私の母校である上本部中学校がそびえたつ。私は過去5回、「世界のウチナーンチュ大会」が開催される度に母校に生徒らを集め、「琉球新報アメリカ通信員の役割」と題して講演をしてきた。

 弦貴さんの娘まことさん(22)は、仲西中2年だった2009年8月10日に第19回「児童生徒の平和メッセージ展」詩部門で最優秀賞を受賞した。「刻まれた名前」と題された詩の中で「新里」を緑深いヤンバルと表現した。私は米国でそれを読み、琉球新報に読後感を書いた。又吉さんは「娘の平和の詩が、遥か米国で1人の目に触れ、その想いが届いた。あれから9年、娘は平和を誘う『琉球クリエティブバレエ』米国公演ツアー(今年3月)に向かう。私のルーツ、緑深い本部町新里、人と人とを紡ぐ絆はここからスタートした」と思いを寄せた。

 弦貴さんは那覇地区道徳教育事務局長や演劇活動に長年携わっているほか、FMニライの番組でパーソナリティーとして沖縄文化を発信している。「沖縄の実情を知ってほしい」と、中学生が基地問題について考える本土復帰40年記念演劇「フェンスに吹く風」の演出や脚本に取り組み、書籍の出版にこぎ着けた。

 私が「新里」を後にして58年。過疎が進む故郷だが、20年ほど前から私の弟、直一(70)らが「太陽の花」としてランや菊の栽培に取り組み、新しい公民館もでき、潤いが増した。
(当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)