奇跡のピアノ 復興の調べ 「さとうきび畑」涙誘う 福島で絆コンサート


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 福島県いわき市の豊間(とよま)中学校の「奇跡のピアノ」を主役にした「絆コンサート」が東日本大震災の発生から満7年の11日、同県南相馬市の診療所で開かれた。待合室を開放した会場を約80人が埋め、ソプラノ歌手の寺島夕紗(ゆさ)子さんとピアニストの横山歩さんの演奏、震災直後に生まれた子どもによる独唱などが披露された。

「絆コンサート」を終えて「奇跡のピアノ」の前に並ぶ演奏者、関係者=11日、福島県南相馬市の絆診療所

 「奇跡のピアノ」は豊間中学校に寄贈された国産のグランドピアノで、津波にのまれ、がれきに埋もれた。地元の調律師、遠藤洋さんが引き取り、1万点もの部品を交換して復活させた。2011年のNHK紅白歌合戦をはじめ約70回のイベントに登場し、シンガポールにも渡ったことがある。

 コンサートを企画したのは元ラジオ福島アナウンサーで現在はフリーで活動する大和田新さん。沖縄にも心を寄せ、毎年取材に訪れている大和田さんは12年初め、沖縄で寺島さんと出会い、福島でのコンサートに出演を依頼してきた。大和田さんを介して寺島さんと横山さんが「奇跡のピアノ」に出合ったのは震災の翌々年。横山さんは「表面的にはきれいになっていたが、鍵盤を触ると弱々しかった。被災者の皆さんの心の中もこんな状態ではないかと思い、初めて震災を実感した」と振り返る。今回、5年ぶりに弾き「とても反応がよく元気になっている。素晴らしいピアノになった」と遠藤さんの調律をたたえた。

コンサートの前に調律作業を行う遠藤洋さん=11日、福島県南相馬市の絆診療所

 寺島さんは「さとうきび畑」を作詩作曲した故寺島尚彦さんの次女。コンサートでは同曲など父の4作品を披露した。戦争で父親を亡くした悲しみを歌う「さとうきび畑」の最後のフレーズは「この悲しみは消えない」。震災・原発事故の悲しみや苦悩に重ね合わせた寺島さんの歌声が聴衆の涙を誘った。

 診療所の近くに立ち並ぶ仮設住宅に住民はほとんどいなくなった。しかし課題はあまりにも多く、復興には程遠い状況だ。3・11の「絆コンサート」は、「被災者に節目の日はない」という現実を直視しつつ、人と人が出会い思い合うことで新たな一歩に向かう力が生まれる可能性を感じさせた。(米倉外昭)