4・3の記憶 教育で 関係者、沖縄戦も報告 韓国・済州


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教育現場での「4・3事件」の扱いについて語る宋昇浩さん(右端)=2日、韓国・済州島

 【済州で前森智香子】沖縄と韓国・済州島の女性たちとの交流事業をきっかけに発足した県済州会のメンバーら17人が2日、済州市で現地の教員たちと意見交換した。多くの住民が虐殺された済州の「4・3事件」と沖縄戦が、学校でどう教えられているかをそれぞれ報告。共通点も多い2地域の関係者は「悲惨さだけでなく、なぜ起きたのかを伝えるべきだ」と、教育の在り方を話し合った。

 4・3事件は、1948年4月3日、米軍政下の済州で、朝鮮半島の南北分断につながる選挙などに反対した住民が武装蜂起し、多くが犠牲になった事件。軍や警察が弾圧し、犠牲者は3万人以上ともいわれる。

 中学校教員の宋昇浩さんが、4・3事件の扱いを説明。長年、教科書に「共産主義の暴徒たちが暴動を起こした」と記されていたが、2000年代ごろから「単独選挙に反対する左翼勢力と警察との衝突が起き、武力鎮圧の過程で多くが犠牲になった」などと表現が変化したと述べた。

 元教員で県議の狩俣信子さん(76)は「沖縄の教員は、教え子を再び戦場に送ってはならないと意識している」と話した。最近は戦争体験者から話を聞く機会が減ったとし、なぜ戦争を防げなかったかを教えていくべきだと強調した。

 メンバーは、旧日本軍が造った軍事飛行場跡地の視察も行った。4・3事件発生から70年の3日は、慰霊祭に出席する。