ジャグリングやバルーンアートを通じ、沖縄と熊本をつなぐパフォーマーが南風原町にいる。熊本市出身のクラウン・コトラさん(45)だ。今月上旬も被災地を訪れたコトラさんは古里の言葉でエールを送る。「がまだせ(頑張れ)、熊本!」
12日夜、那覇市の桜坂劇場にピエロ姿のコトラさんが現れた。自作のベストと帽子にはくまモンのイラストが入っている。桜坂市民大学のバルーンアート講座。2年前のあの日も、この講座の最中だった。
2016年4月14日午後9時26分、九州地方で巨大地震が発生した。コトラさんのタブレット端末に「熊本」「地震」「震度7」の文字が映る。「やばい、でかい」。コトラさんは講義を中断し、熊本市在住の両親に電話した。携帯電話に固定電話。何度電話してもつながらない。自宅は築40年以上。東日本大震災の惨状が頭に浮かんだ。
日付が15日に変わってから、ようやく母親に電話がつながった。両親にけがはなかった。16日、再び震度7の激震が熊本を襲う。「何かしないといけない」。コトラさんは缶詰や衛生用品を買い集め、すぐに熊本に送った。
6月中旬、熊本市の二つの保育園を訪ねた。「園児の笑顔が少なくなっている」「狭いトイレに入れなくなった」。事前にそんな話を聞いていた。ジャグリングを見せ、風船で犬やウサギを作った。子どもたちは笑顔で喜んでくれた。ハイタッチして別れ、「また来るね」と約束した。
コトラさんは今月上旬も熊本を訪れ、公園でパフォーマンスを披露した。この2年間で景色は随分、変わった。家屋を覆っていたブルーシートは減り、さら地や駐車場が増えた。一方、実家の墓石は崩れたままで、今も約3万8千人が仮住まい生活を送る。
コトラさんは「観光客に足を運んでもらわないと、完全な復興にはならない」と話し、フェイスブックやツイッターで熊本の魅力を発信。県内の小学校で被災地の様子も紹介した。
「苦しんでいる人がまだまだいると思う。でも過去には戻れない。震災前とは違う、新しい熊本が見たい。がまだせ」
園児らと交わした「また来るね」の約束。コトラさんが忘れることはない。(真崎裕史)