『青い眼の琉球往来 ペリー以前とペリー以後』 西洋の二人が見た琉球


社会
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『青い眼の琉球往来 ペリー以前とペリー以後』緒方修著 芙蓉書房出版・2376円

 この本は自由だ。

 ペリーの娘婿とロスチャイルド家、マルタ騎士団、「ロードス島攻防記」、米大陸横断鉄道、エルサレム、パナマ運河など、世界と歴史を軽々と飛び回る。この時空を超えた一大歴史スペクタクルは、茫漠(ぼうばく)とした迷路にも見える。しかし俯瞰(ふかん)して見えてくるのは、19世紀の列強の支配による世界の混乱、そしてそこから浮かび上がる「青い眼(め)」によって描かれる琉球の姿だ。

 基本は2人の人物を軸に展開する。前半は、200年前に琉球を訪れ美しい交流記を著したバジル・ホール。後半は、琉球王府を恫喝(どうかつ)し条約を結ばせたペリー。ペリーは琉球を「狡猾(こうかつ)で不誠実」として、ホールの琉球評価を真っ向から否定した。本書ではその動機を探るように、ペリーの来歴や家族関係に多くのページを割いている。

 彼は強烈な使命感をもっていた。通商条約を結ぶことが正義。琉球はホールの言うような理想郷でないから、西洋文明と通商することによって人々を解放すべきだ。そう言いながら、「怠惰で不平ばかりいっている中国人」に対して琉球人少年の勤勉さを認め、「土地が肥沃(ひよく)で、人民はつましく、あらゆる種類の物資が豊かであることを知っている」と言い、町並みは「イギリスの田園のように整然と」し「心奪われるような美しいたたずまい」と、客観的に描いている。しかし、理想郷であることを認めるわけにはいかないのだ。

 本書はさまざまな寄り道をしながら、世界の激動を描き「青い眼」が見た琉球の姿を浮かび上がらせる。その姿は、結局、ホールの描いた美しい琉球のままだったのではないだろうか。

 最後に、2016年に建立されたバジル・ホール記念碑を取り上げていただいたことに謝意を申し上げたい。建立の際、宮城宏光実行委員長が、今の若い人たちには「肝心(ちむぐくる)」「志情(しなさき)」がない、と嘆いておられた。「青い眼」が描いた琉球人たちの姿に「肝心」「志情」が見いだせるかもしれない。本書はそんな古き良き琉球を知るガイドラインでもある。

 (沖田民行・バジル・ホール来琉200年記念事業期成会事務局長)

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 おがた・おさむ 1946年、熊本県生まれ。中央大卒。文化放送記者・プロデューサーを経て99年に沖縄大学教授になり、現在、東アジア共同体研究所琉球・沖縄センター長など。

 

青い眼の琉球往来 -ペリー以前とペリー以後
緒方 修
芙蓉書房出版
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