<人生泣き笑い サクラメントの県出身女性>1 アメリカ 富士子・ダンドイさん(旧玉城村出身 旧姓・宜保)


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

戦争体験 自費出版へ

 カリフォルニア州サクラメントの閑静な住宅街にある富士子・ダンドイさん(89)=旧姓・宜保=宅の壁には、28枚の感謝状が掛けられている。1979年に県人会を立ち上げ約40年間、県人会と共に歩み、県人会会長を務めるなど県系人の頼りになる存在であり続けている。2016年開催の第6回世界のウチナーンチュ大会では功労賞を受けた。お洒落で若々しく、ユーモアのセンスにあふれる富士子さんは来年で90歳になる。

 富士子さんは旧玉城村で生まれた。沖縄戦では激戦地だった南部を逃げ回り、生き延びた。戦争で多くの友人を失った。そんな経験から「米国は友人らの命を奪った敵国」との思いが人一倍強かったという。

 富士子さんは戦後、米国民政府の公衆衛生部で検査官として赴任していた夫アポリナリオさんと出会う。結婚すれば「敵国」に渡ることになると、結婚にちゅうちょしたが、最後は夫の人間性に負け結婚した。

 奉仕精神にあふれる夫は、休日に沖縄の若者たちを対象にした無料の英会話教室を自宅で開いていた。若者に食事を提供するのが富士子さんの役目だった。「夫は英語の先生、私はムヌニヤー(食事作り)だった」。夫婦二人三脚だった当時を笑顔で振り返る。

 夫の沖縄滞在23年目に転機が訪れた。病気になった夫の治療のため、また息子らの大学進学とも重なり、サクラメントに一家で引っ越した。富士子さんは約10年間、闘病生活を送る夫を献身的に看護した。「思いやり深い性格の夫は看護をする私をねぎらい、夫としても父親としても世界一だった」と振り返る。

 夫が亡くなった後は、親孝行の息子たちが富士子さんを支える。「県人会に協力的である2人の息子がいるから会長が務まる」と話す。長男の良治さん(64)は郵便局に勤め、妻を亡くした後は富士子さんと一緒に暮らす。州税務署員の次男、勉(べん)さん(61)は仕事帰りに毎日欠かさず様子を見に富士子さんを訪ねるという。

 富士子さんは自身の戦争体験をつづる本の自費出版を目指す。「戦争体験を思い出しながら少しずつノートに書こうとしているが、涙が先に出てしまう。だが伝えることは生き証人の自分のやるべきことだ」。強い使命感が突き動かす。

 「ぼける暇はない」と言う富士子さんは最後にこう強調する。「戦争で生きながらえた命。わが人生に悔いはない。人生悲しいことや悩みも多いが、いいこともある。すべて神の導きのまま生きてきた。なるようになっている」(鈴木多美子通信員)

   ◇   ◇    ◇   ◇

 米カリフォルニア州の州都、サクラメント。電子機器産業など発展が目覚ましいこの町を拠点に活動する県人会の女性たちが日米で歩んだ激動の人生を紹介する。