<人生泣き笑い サクラメントの県出身女性>3 アメリカ マリア・フライさん(奄美大島出身 旧姓前川スミエ)


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夫亡き後、新天地へ

 

 マリア・フライさん

 マリア・フライさん(84)=旧姓・前川スミエ=は、奄美大島の旧制高等女学校卒業の翌年に家族とともに沖縄に移住した。洋裁を教える仕事に就き、米軍属の夫と結婚した。宜野湾市にあったキングスクールに勤務する傍らガールスカウト沖縄県連盟の指導者として女子教育にも携わった。青少年育成への貢献が認められ、同連盟の代表として1972年の沖縄復帰記念式典にも列席した。

 沖縄初のキャンプリーダーの資格を取得し、野外キャンプを通して子女らの育成に力を注いだ。働きながら沖縄国際大学夜間部英文科で学位を取得した。キングスクールを退職後は基地内で公務員として働いていたが、結婚から10年、米フロリダ州マイアミに夫と移った。

 異国での新生活は順風満帆かに見えたが、移住1年目に夫が急死。フライさんが41歳の時だった。独りになり喪失感と寂しさで落ち込む日々が続いたが、ロサンゼルスに引っ越すことを決めた。フロリダがある東海岸から友人が住むサクラメントがある西海岸まで約7千キロを5日間かけて車で横断した。横断距離は北海道から沖縄まで約3千キロ、日本列島を往復する以上の距離である。友人宅に1週間滞在したフライさんは、すっかりサクラメントを気に入り、住むことを決意。決意したら即行動のフライさんは仕事を見つけ、アパートの契約も済ませた。

 新天地では老舗デパートの経理の仕事を得た。さらなる向上を求めて夜は、学校に通い経理関連の資格を取得、会計報告書の作成などに15年間携わった。その後、米コンピューター大手「ヒューレット・パッカード」(HP)の採用試験に見事合格。組み立て後のボードに問題がないかの検査を担当した。フライさんは「新しいことへのチャレンジが好き。検査の仕事は面白く人間関係もスムーズで職場は楽しかった」と振り返る。62歳で同社を退職した。

 再婚し16年間連れ添った夫も急死するなど悲しみの淵にいたこともあったが、それらを乗り越えられたのは、日系2世クラブや50歳以上の会、慈善事業団体、沖縄県人会などでの仲間の存在が大きいという。沖縄県人会では、長年役員を務め、エイサーグループの一員として活躍した。支えてくれた仲間との絆が築けたのは、フライさんの行動力と明るい人柄が大きい。

 フライさんは自身の半生を振り返り「自分を信じ、懸命に生きてきた幸せな人生だった。後悔はなし」と言い切る。沖縄の若い人たちに対しては「若者は、まずは自分の力で諦めずにやり遂げるべきだ。忍耐力が必要だ」とエールを送る。フライさんの言葉からは「自ら考え行動する女性」の生きざまが伝わってきた。
 (鈴木多美子通信員)