沖縄県伊江村の米軍伊江島補助飛行場で22日、軍用車両の投下訓練が強行された。重量物投下訓練は、復帰の際に日米間で合意した伊江島の使用目的の一つだ。だが、米軍は事前通告なく投下訓練をするのが通例となっている。どのような物がどれほどの頻度で投下しているのか、沖縄防衛局や県、村は米軍の訓練の全容を把握できていないのが現状だ。
沖縄防衛局は、過去の車両投下訓練の実施状況について「物資のパラシュート投下訓練の訓練回数について網羅的には把握していない」と答えた。今回は米軍から事前に通告があったため、防衛局が現地で訓練内容を目視で確認できた。しかし多くの場合、事前通告はない。
県の金城典和基地対策課長は「日頃は訓練に関する通知は何もない。事故が起きて初めて、こんな訓練をしていたのかと分かる場合もある」と説明した。伊江村も「過去に軍用車両が投下された事例はなく、(前例があったかどうか)把握していない」と述べた。
1972年の日本復帰時に在沖米軍基地の使用目的・提供条件などを定めた日米間の合意文書「5・15メモ」に基づいて、米軍は伊江島で投下訓練を続けてきた。加えて96年のSACO(日米特別行動委員会)最終報告により、読谷村で実施されていた降下訓練が伊江島に移転。訓練の増加に伴い、事故も増えた。
周辺住民の危険性が増す中、重大事故にもつながりかねない車両投下訓練が22日、村の中止要請を無視する形で強行された。重量物訓練を「容認していない」とする村と対照的に、県は車両の投下を事前に知らされていたが中止は求めなかった。安全性への配慮を求めるにとどめ、事後の抗議や投下訓練の廃止要求も予定していない。過去の事故事例では、県は落下した地点がフェンスの内側か外側かで抗議するかどうかの対応を分けている。
読谷村では65年に、米軍が投下したトレーラーに押しつぶされて小学5年生の女児が死亡する事故があった。米軍の投下訓練に対し県民が抱く反発は根強い。県は「地元から変えてくれとの声が上がれば県も行動を検討する」としており、住民の不安にどう応えるか注目が集まる。
(明真南斗)