初めに、付録のCDを聴いた。築地俊造さんが民謡日本一になったときの音源である。「さすがに上がってるな」と思った。自慢の裏声もちょっと苦しげな。それでも全国制覇したのだから立派だ。
幼いころ、母親に畑の芋掘りに連れて行かれたときのエピソードがおもしろい。「山でアオバトが鳴くんですよ。歌ってるような鳴き方。それをマネたところ、おふくろが『うまい、あの鳩よりおまえの方がうまい』と褒めた。四六時中アオバトの鳴きまねをして、それで裏声の味をしめた」
「奄美の島唄は、黒潮の流れのある土地ではウケるんです。黒潮の流れない日本海側なんかではもろにシラケちゃう。そんなときは『安里屋ゆんた』を歌うんです。するとすぐにノっテくる」とふしぎがる。
ふしぎといえば、地形の相違もまた。奄美本島には大別して「カサン唄」と「ヒギャ唄」がある。北部の笠利(かさり)は平地が多く、節も、総じて大らか。これに対し山の起伏が激しい南部の「ヒギャ節」は上がり下がりが多く、ダイナミックだ。築地俊造は北部笠利は川上の出身だから、当然「カサン節」かと思いきや、全然違う。むしろ南部に近い。そのため地元では「俊造のうたは島唄じゃない」という、一種の拒絶反応を起こさせた。良くいえば中間的、悪くいえばどっちつかず、といった評価。
その理由は、俊造さんが教えを乞うた師匠が、福島幸義、坪山豊といったヒギャの唄者だったことによる。沖縄と違い、工工四のない奄美は、ひたすら伝統の継承と唄者自身の創意工夫を生命とする。“俊造節”もそういうなかで認知されてきた。
トークのうまさも俊造さんの強みだ。この“語り下し”で、それが存分生かされている。うまいといっても、都会風の、いわゆる立板に水式の流暢(りゅうちょう)な語りではない。訥々(とつとつ)と語って、笠利人(かさんちゅ)ならではの味がある。時にしみじみ、時に爆笑、一読思わず「クワッキェーしゃおたん」と、天国の唄者に感謝。
(中村喬次・エッセイスト)
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つきじ・しゅんぞう 1934年鹿児島県笠利町生まれ。奄美を代表する唄者。79年第2回日本民謡大賞で優勝し、民謡日本一に。2017年4月死去。 やながわ・ひでとし 1959年東京生まれ。鹿児島大学術研究員法文教育学域法文学系教授。
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