<人生泣き笑い サクラメントの県出身女性>5 アメリカ はるみ・ドゥシャームさん(那覇市出身旧姓・比嘉)


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息子に恥じない人生

 

はるみ・ドゥシャームさん(右)

 はるみ・ドゥシャームさん(66)=旧姓・比嘉=は、那覇市の農連市場で手広く商売する家の長女として育った。中学生になってからは、未明から働く母の代わりに炊事一切を任された。「結婚後、家事が苦にならなかったのは、体に染み込んでいた家事能力のおかげ」と話し、母親に感謝する。

 上京し、昼は会社員として働きながら夜は神田外語学院で英語を学んだ。帰郷後は英会話学校に就職した。同僚から紹介された米海兵隊勤務のトムさんと、母親に反対されたが結婚した。

 結婚の翌年、長男が生まれ、家族3人でサクラメントに引っ越した。夫は、海兵隊を除隊し、シティーカレッジで航空学を専攻して非破壊検査技師の資格を取得し、飛行機に携わる仕事に就いた。一方、はるみさんはパートの仕事をしながら短大を卒業した。介護の資格を取得し、アジアンコミュニティーの老人ホームに就職した。

 チャレンジ精神旺盛な一人息子のダナヴァンさんは、運動能力に優れ努力を惜しまない性格から野球やバスケットボールなどさまざまなスポーツの選手として活躍した。息子が挑戦した11種のスポーツ観戦を夫婦で楽しんだ。天性の明るさで多くの友人にも恵まれ、友人の相談にのるなど信頼されていた。両親に対しても「Mom, Dad I love you always(お母さん、お父さん、いつも愛している)」と事あるごとにハグするやさしい青年に成長した。海兵隊員になる夢を抱き、入隊が既に決まっていた。

 しかし、17歳の息子との別れは突然やってきた。入隊前、別れのあいさつをするためにオートバイで友人宅に行ったダナヴァンさんは事故に遭う。はるみさんの元に駆け付けた夫は、体を震わせながら息子が不慮の事故で亡くなったことを告げた。はるみさんは息子の姿を見ない限り信じることができないと、遺体安置所での対面をちゅうちょする夫の手を引き遺体を確認した。

 葬儀には数百人が駆け付け、沖縄からも母ら5人が出席した。しばらくぼうぜんとした日々を過ごした。特に夫の心理状態は、日増しに困難な状況に陥っていった。環境を変えることが先決だと考えたはるみさんは、ハワイに引っ越した。しかし、夫の精神的なつらさは新天地でも癒やされることはなかった。

 「今の自分は君の人生を狂わせているので離婚してくれ」。ある日、夫からこう言われた。だが、はるみさんは「離婚する理由は何一つない。自分たちは重荷を負った戦友同士。息子は17年間素晴らしい思い出をくれた。息子との思い出を語れるのは両親である自分たちだけだ。焦ることはない。まずは、10年間共に過ごそう」と夫を激励し、生活を続けた。

 ハワイで16年間暮らした後、サクラメントに戻った。愛息の死から今年で20年を迎える。夫婦共通の趣味はスポーツ観戦だ。はるみさんは「日々楽しく過ごすことをモットーにしている」と話す。県人会では2度目の副会長を務め、来年は会長に就くことになっているなど県人会メンバーからの信頼も厚い。「息子に恥じない人生を生きる」。こう言い切るはるみさんの凛とした前向きな姿勢が夫や友人らに勇気と力を与えているように感じた。

 (鈴木多美子通信員)