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<人生泣き笑い サクラメントの県出身女性>6 アメリカ 常子・シルバさん(石垣市出身旧姓・新城)

夫、家族に支えられ

 



 常子・シルバさん(66)は、8歳の時に母、姉とともに石垣島から那覇に引っ越し伯父宅に身を寄せた。18歳の時に母を亡くし、さらに働く母の代わりに育ててくれた祖母も亡くなった。相次ぐ悲しみを乗り越えレストランで働き始めた。ある日、背の高いハンサムな米兵が店に入って来た。その瞬間、何かを感じた。夫となるギャリーさんとの運命の出会いだった。帰国したギャリーさんは常子さんを迎えに来た。1973年、20歳の常子さん、21歳のギャリーさんは新たな人生を米国でスタートさせた。

 イタリア系とポーランド系米国人の夫の家族は、常子さんを暖かく迎え入れた。軍を退役した夫は、地元スーパーの商品保管所に勤め始めた。長女、次女、そして長男が生まれ、家事育児に忙しくも平穏無事な幸せな日々を送っていた。働き者で子煩悩なギャリーさんは、思いやりがあり陽気で献身的、忍耐強かった。そんなギャリーさんに35歳の時、肺がんが見つかり闘病生活を余儀なくされた。職場復帰したものの、がんが再発し再入院した。死を覚悟した夫は、医療保険の恩恵が受けられるよう州立大学の用務員に妻が採用されるよう便宜をはかることを友人にお願いしていた。

 亡くなる前、ギャリーさんは常子さんに「これからは自分の親と兄弟姉妹を頼るように」と言った。長男には「男の子は一人だからママを助けてあげて」との言葉を残した。37歳の若さで帰らぬ人となった。長女が12歳、次女が9歳、長男はまだ5歳だった。「お墓に水をかけて。そうしたらパパは起きてくる」。墓の前で長男にこう言われた時、常子さんは胸が熱くなり涙したという。

 子どもたちにとって大切な人を失うことは衝撃的なことである。ホスピス緩和ケアーの病棟で、子どもたちの心のケアーが行われた。学校に通いながらも、喪失にうまく対処できるようケアーが行われ、サポートが続けられた。常子さんは「何より子どもたちの悲しみが和らいだのは、子どもたちを気遣い世話をしてくれた夫の母親と兄弟姉妹の手厚い支えがあったからだ。子どもたちは、問題なく育ってくれ、子どもの事を心配せず働けたことにも感謝している」と振り返った。

 常子さんは、大学の用務員を25年間続け、5年前に退職した。3人の子どもたちは独立し結婚した。長女のチャシディーさん(41)は、サンディエゴに住み3人の子どもの育児に追われる。常子さんは時々孫たちの子守に娘宅に行くのを楽しみにしている。近くに住む次女ミンディーさん(39)は子どもは2人、学校でカウンセラーの仕事をし、長男ニコラスさん(35)は貨物輸送サービス業UPSに勤務している。クリスマスや感謝祭には親戚縁者総勢30人が集まりにぎやかな一時を過ごす。「優しい家族に恵まれラッキーだった」。常子さんは今、県人会の活動に趣味の太鼓や琉舞、編み物を楽しんでいる。 (鈴木多美子通信員)