沖縄戦くぐった三線破損 茨木・吉永さん さお折れ「心痛い」


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
沖縄戦もくぐり抜けた父の形見の三線が地震で破損し、残念そうに手にする吉永安正さん=18日、大阪府茨木市東奈良(吉永英子さん提供)

 沖縄戦をくぐり抜けた三線が使用不能に―。久米島出身で大阪府茨木市に住む吉永安正さん(88)が父の形見として大切にしてきた三線が18日、大阪府北部の地震で破損した。さおの先端部分が折れた。三線は沖縄戦で一時地中に埋まっていたのを、戦後、父親が掘り出し、再び弾き始めた思い入れの深いもの。安正さんは「心が痛い」と悲しんだ。

 戦時中、久米島に住んでいた安正さん。父は自宅敷地内に避難壕を掘り、家具と一緒に三線も中へ入れて保管した。安正さんは両親、きょうだいらと一緒に自宅から離れ、山中に避難していた。戦闘がやみ、家族で自宅に戻ると、近くに砲弾が着弾した跡があり、三線は保管していた避難壕ごと地中に埋まっていた。

 掘り出した三線は、当時、父が祝いの席や遊びで弾き、数少ない娯楽の一つだった。中国やビルマ(現ミャンマー)の戦場へ動員された兄たちが復員した際も弾き、無事に帰ってきた喜びを家族で共有した。

 約50年前、沖縄から大阪に移住した安正さんは、妻の英子さん(70)と一緒に民謡教室を開き、歌三線を指導している。戦火をくぐり抜けた三線は、約30年前に父から「お前が持っておけ」と譲り受け、夫婦で大切に使ってきた。

 18日朝の地震発生時。吉永さん夫婦は朝食中だった。テレビが倒れ、壁に掛けてあった三線も落ちて壊れた。修復が困難な状況に安正さんは「大事な三線だった。まさかこうなるとは」と声を落とした。