戦争体験重ね「爆弾かと」 余震続き眠れず 大阪北部地震


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
地震で棚から落下したビデオテープなどを片付ける赤嶺助八さん=20日夜、大阪府高槻市

 【大阪で金良孝矢】大阪府北部で18日に起きた震度6弱の地震から20日で3日目となった。公共交通が一部運行を見合わせていたり、ガスの供給が止まったりしている地域があるなど、沖縄県関係者の生活を直撃している。震度6弱を観測した高槻市に住む赤嶺助八さん(81)=豊見城村出身=の自宅はガスの供給が止まったままだ。湯が沸かせない状態に「つらいな」とこぼす。床は棚から落下したビデオテープや写真立てが散乱し、地震のすさまじさが生々しく残っていた。沖縄戦を8歳で体験した赤嶺さんは、激しい揺れに「戦争を思い出した」と振り返る。

 地震が発生した18日午前8時ごろ、赤嶺さんは自宅の台所で朝食を作っていた。突然「ドーン」という雷が落ちたような音が耳をつんざき、とっさに身構えた。「米軍が艦砲射撃した時の爆弾が落ちたような音だった」。自身の戦争体験と重ねた。

 阪神淡路大震災の際は、仕事で京都に向かう車中で揺れを体験した。今回の地震は自宅がある高槻市近くが震源地だった。揺れは今回の方が大きかったと感じた。

 赤嶺さんは揺れが収まるまで、その場でしゃがんでいた。棚から食器やグラスが次々と床に落ちて割れ、破片が散らばり、部屋はたちまち足の踏み場がなくなった。ガスの供給は止まり、復旧のめどは立っていない。料理もできず、風呂にも入れない。

 那覇市出身の妻・末子さん(77)は体調が悪く入院していたため、無事だった。

 近所のスーパーはカップラーメンなどの保存食や飲み水を買い求める人で行列ができ、品薄状態が続いている。赤嶺さんは自宅にある食料で何とかしのいでいるという。戦争時、本島北部に避難した際、食料がなく味気ない桑の葉で20日間食いつないだ経験がある。「これ位どうでもない」と言い切る。

 だが、相次ぐ余震で家がガタガタとなり、夜に何度か目を覚ましてしまう。「敏感になってしまい、安心して眠れない」と漏らす。不安な日々を過ごす赤嶺さんは一日も早く平穏な日常が訪れることを願っている。