亡き家族に祈り、不戦誓う 沖縄・平和の礎 戦後73年の「慰霊の日」


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「平和の礎」で祈りを捧げる家族=23日午前、糸満市摩文仁

 「慰霊の日」を迎えた23日、沖縄戦などで亡くなった人の名前を刻んだ糸満市摩文仁の「平和の礎(いしじ)」には朝早くから多くの人が訪れ、花や食べ物を供えた。礎に刻まれた名前は総数24万1525人。戦争で命を落とした大切な家族を悼み、平和の大切さをかみしめた。

 礎に刻まれた名前に水をかけ、花を手向けた八重瀬町の新垣秋子さん(79)。サイパンで亡くなった兄の記憶はあまりないが、母は生前に「優しくて素直な子だった」と話していた。「慰霊の日が来ると平和でありたいと強く思う」と、涙をぬぐいながら言葉を絞り出した。

 「元気なうちはここに来るのが義務」という西原町の玉那覇千代子さん(85)は、沖縄戦で命を落とした祖父に向けて線香と揚げ物を供えた。祖父は本島南部で亡くなったとみられるが、遺骨は見つかっていない。「この世からイクサをなくしてほしい。どこの国にもいらない」と語った。