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『陸軍中野学校と沖縄戦 知られざる少年兵「護郷隊」』 「戦うべき国民」への動員

『陸軍中野学校と沖縄戦 知られざる少年兵「護郷隊」』川満彰著 吉川弘文館・1836円

 著者の案内で何度か沖縄戦の戦跡を巡ったことがある。史料/資料に基づく精緻な説明、直接聴き取った証言の分析。その口から丁寧に語られる史実に、耳を傾ける側は息を飲む。そんな著者が長年にわたって調査してきた「知られざる少年兵」と諜報機関、陸軍中野学校の姿を本にまとめ沖縄戦の本質に迫った。

 沖縄戦当時、中野学校の出身者計42人が沖縄に配置された。ゲリラ戦を指揮するためだ。離島にも分散した。本島北部では、地元の少年たちを召集(しょうしゅう)し、第1、第2の「護郷隊」を編成した。兵役法の召集年齢(17歳以上)を下回る少年も含まれ、正規軍とは別に、橋りょう爆破や村への放火を強要した。ゲリラ部隊名の「遊撃隊」を秘匿して「故郷を護(まも)る」部隊と称した「護郷隊」の実態は、「故郷を壊す」ことだった。

 何のために、そしてなぜ、年端もいかない少年が兵隊にされてしまったのか。元隊員から証言を聴くたびに著者は自問自答する。やがてこの諜報機関の任務の先にみえる真のねらいに気づく。それは、住民は庇護(ひご)すべき対象ではなく、国体護持のための動員対象でしかないという論理である。

 日本政府は徴兵対象を拡大する義勇兵役法を、1945年6月22日に公布した。15歳以上60歳以下の男子、17歳以上40歳以下の女子に兵役を課し、年齢制限外の者にも「志願」を促すものだが、沖縄では、これに先行する形ですでに召集枠を広げられ、住民が根こそぎ「戦うべき国民」への変容を強いられていた。

 第1護郷隊は610人中91人、第2護郷隊も388人中69人が犠牲になった。少年たちは戦後、順次、解散し、「潜伏」という名目でそれぞれの郷里に戻った。「潜伏」とは敗れてもなお「本土決戦」に備え、後方かく乱、諜報(ちょうほう)を続けるという意味である。かろうじてそれはまぬがれたが、一般兵士以上の異常な体験。「話すとつらい」と口を閉ざす元隊員が今も多いことに、著者は慄然とする。国家によって、守られるべき存在とは対極に投げ込まれた人の傷の深さが、本書を通じて痛いほど伝わる。

 (藤原健・本紙客員編集委員)

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 かわみつ・あきら 1960年コザ市(現沖縄市)生まれ。名護市教育委員会文化課市史編さん係嘱託職員。沖縄戦史研究。『沖縄県史各論編6 沖縄戦』で「沖縄本島北部の沖縄戦」「秘密戦」などを執筆。

 

陸軍中野学校と沖縄戦: 知られざる少年兵「護郷隊」 (歴史文化ライブラリー)