【島人の目】名歌が語らない暗部


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 亡くなった島倉千代子さんの名作演歌「東京だョおっ母さん」を聞くたびに僕は泣く。言葉の遊びではなく、東京での学生時代に亡き母と2人で靖国神社に参拝したことを思い、戦争で死んだ優しい兄さんを想像して、文字通り涙ぐむのだ。それは純粋に感傷の世界である。同時に理性がはたと目覚めるのも歌に涙するときだ。

 歌に込められた優しい兄さんは実は凶暴な兵士でもあった。優しい兄さんは戦場でどう猛に狂おしく走って人間として壊れ、征服地の人々を苦しめる悪魔になった。「東京だョおっ母さん」ではその暗部が語られていない。そこには壊れる前の優しい兄さんだけがいる。歌を聞くときはそれがいつも僕をホロリとさせる。優しい兄さんに靖国で付き添った母の記憶が重なるからだ。

 同時に「壊れた日本人」の酷薄さを思って気持ちが沈む。戦場での残虐非道な兵士が、家庭では優しい兄であり父であることは、どこの国のどんな民族にも当てはまるありふれた図式。しかし日本人の場合はその落差が激しすぎる。「うち」と「そと」の顔があまりにも違うのだ。

 土着思想しか持ち合わせない多くの軍人らは、他民族を同じ人間と見なす「人間性」に欠け、彼らを殺りくすることだけに全身全霊を傾ける非人間的な暴徒だった。

 そしてもっと重大な問題は戦後日本がそのことを総括し子どもたちに過ちを十分に教えてこなかった点だ。若者たちが彼らの祖父や大叔父が、壊れた人間であったことを知らずにいることが危険なのである。知らない者はまた同じ過ちを犯す可能性が高まる。

 日本と同じ敗戦国であるイタリアでは反ファシズム教育が徹底しており、将来「壊れる人間」が出ることを防ごうとしている。日本は戦後総括法をドイツのみならずイタリアからも学んだほうがいいかもしれない。
(仲宗根雅則 イタリア在、TVディレクター)